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ブッダの言葉

noteを始めて今日でちょうど一週間。

人の感情の動きは一定ではないが私ほど揺れ動く人もそういないだろうなと笑えてくる。
ブッダの言葉で
「私はこういう人間だ」と考えるとその通りになる
というものがあります。

感情的になればなるほど、それは自分を作っていくものになり
私はそんな人間なんだと強化されるということなのでしょう。

まさにその通りで
「自分ってこんな人だよね」が自分を作る
言霊が現実化していると言うこと。
自分がどんな人間になろうともそれは自分の責任だと思うからです。

今、自分が一番苦手だったものにチャレンジしているのですが
それについてのジャッジがこれまた辛い

苦手なのはジャッジされることで、やってることは好きなことなのに
そのジャッジをクリアするためには条件を飲まなければならない。

要するに自分勝手にやりたいだけなのだと気がついた。

枠にハマることが嫌いなのに共感はしてもらいたいと思うとか
誰かの評価をもらいたいと思うとか
矛盾している。実に矛盾している!

だけど、人間の存在や感情なんて矛盾の塊だ。
それをお得意のフワッとゆるっとやっていこうとすれば
それなりのリスクもあるし、自分以外が見えなくなる。

だから、あえて飛び込んでみた。自分が一番苦手とする場所へ。
ジャッジをされて酷評されればされるほど落ち込んでいく自分がいる。
しかも、いつもだいたい、最初は程よくいい感じでその後突き落とされる。

これが反対だったらどんなに嬉しいか。
私の友達はそれを見越して最初に頑張らないと言っていた。
最初から頑張ると、それ以上に頑張らねばならない日々が待っている。
それよりも、そこそこから這い上がった方がどんなに嬉しいか。と言っていた。

でも、やってしまう自分がいるんです。
いつも全力でやって、途中で疲れてそれを「手抜き」と言われる。
ま、確かにそうなんだけど疲れただけです。

なので今戦っています。
自分の評価をこれ以上落としたくないという気持ちと
それでも自分で決めたことだから最後までやり続ける気持ちと。

気持ちを整理すると
言われた通りにやっていれば良いのにやってないだけ
本当はそれがわかっているのに何故できない。

でも決めた!
最後までやり通す。
宣言通り、全力でやり通す!

それでまた酷評もらっても自分が納得いけば良いじゃないか。
と考えることにした。

ブッダは言う

「為すべきことであるならば、それを為すべきである。それを断乎として実行せよ。」

わかりました。やります。どう見られようと、恥ずかしくても、悔しくてもやると決めたらやるのだ!←自分に対する宣言

ブッダは言う

「戦いにおいて、一人が千人に打ち勝つこともある。しかし、自己に打ち勝つ者こそ、最も偉大な勝利者である。」

もしかすると
「いつもこのパターンだから、もう良いや」
でやめていたその先に何かあるかもしれない。
違う結果が待っているかもしれないから、やってみる。

今回は一味違うんです。私。

7/100日目




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