朗読祭り表紙

【朗読祭】もえいづる

白銀さんの「春の朗読祭り☆2019」というcocommuでの企画に参加させていただきました。
企画URL:http://cocommu.com/project/4afca7ffdbd42a524f66bd9280ab87b4
また、白銀さんに演じてもらいました。ありがとうございます。
白銀さんのユーザーページURL:http://cocommu.com/user/10ee3989
白銀さんが読んでくださったもの:http://cocommu.com/sound/de553effd194f6aa7d00c6c3ea740a72
企画に参加させていただき、本当にありがとうございました。

   もえいづる

 鍵を閉めて、雫がしたたり落ちるハイヒールを玄関に投げ捨てた。廊下を歩くと、濡れた足によって家が汚されていった。そのままキッチンに向かい、隣のおばあちゃんからもらった、檸檬の入った袋をテーブルに置く。ごと、と重たい音がした。

 私は水を飲もうとして蛇口をひねる。ピカピカに磨かれた蛇口に、私のゆがんだ顔が映った。お前は醜い、そう言わんばかりに蛇口は笑って水を出す。そう、そうだよ。わかっている。私はコップではなく、まな板を取り出した。蛇口を回して水を止め、包丁を取り出した。最後に、檸檬をひとつ、取り出した。鮮やかな黄色。まぶしく光る宝石。

 ひだまりに包まれていた花嵐の君は、私によって無残に壊されてしまうのだろうか。少し垂れた目と、ふんわり曲線を描く長い黒髪。白い肌に華奢な身体と、きゅっと結ばれたピンク色の唇。やめて、そんな切なげな瞳で覗き込まないで。

 夕日に包まれた二人、青い空の下の二人、雨に濡れる二人。正しいのは一つだけであるはずなのに、どうしてもそれを選べずにいる。いっそすべてをこの檸檬に託して、ここから投げて、ガラスを割り、花嵐の君に当たってしまえばいい。それでも、私は、花嵐の君に似合うのは、檸檬ではなくチョコレートであると思ってしまう。

 まな板の上に檸檬を置き、包丁で優しく半分に切る。まるで赤子の肌を触るようにして、ゆっくりと、じんわりと、その痛みを感じられないくらいに。檸檬はそれでも雫を垂らした。それは、痛みにこらえきれない涙のようでもあった。

 私は、半分に切られた檸檬を手にとって、そっと口に含んだ。きっと、すっぱくて、少しも甘くなくて、むしろ苦いくらいなのに、私にはしょっぱく感じた。ただただ私は、あふれ出る果汁を含んでいく。果肉をかじり、またあふれてくる。私は、獲物を目の前にしたライオン、毛玉を吐く猫。

 半分を食べ終わり、私の口は汚れていた。手を洗おうとして蛇口をひねる。映った顔は、先ほどよりも整っているような感じがした。黄色い宝石を含んだことにより、私のいびつさが正されたような感じだった。私は投げ捨てていたハイヒールを思い出し、手をタオルで拭いてから玄関に向かう。ハイヒールは散らばっている。昨日履いていたスニーカーはきちっと揃えられていた。私はハイヒールを揃えながら、明日はどちらの靴を履くのだろうかと、ふと思った。

 そのとき、猫の鳴き声がして、鍵を開けて扉を開いた。三毛猫が佇んでいた。猫は、じっと私を見ている。獲物を狙う肉食動物の目。この猫はきっと、純粋なる目で誰かを見つめたことがあるのだろう、と私はなぜか安堵していた。

ーーーあとがきーーー

今年は、雪も少なく、春が来るのが一瞬でした。
「もえいづる」では、春をなくした主人公を描きました。
それでも、彼女は恋に恋をするのをやめ、人を愛することを知ったと思います。
少なくとも私はそのつもりで、このお話を書きました。
彼女の葛藤に寄り添うことができて、その機会を得ることができて、この企画に参加してよかったと思いました。

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