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爆笑問題が教えてくれた「ゆっくりと」話すことの意義:『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』

https://www.tbsradio.jp/junk/


 「話の流れ」、「ノリ」、「空気」。これらのバラエティやお笑いの業界用語が一般に浸透してからある程度の時間が経過した。もちろんそうした言葉がコミュニケーションを盛り上げ、その場に即した深いやりとりができるようになる可能性を否定するつもりはない。しかしそのようなプロのスキルをカタチばかり真似し、誰かを傷つけたり、失敗したりするような、「ダダスベリ」したという話もかなり多く耳にする。

 そのバラエティ、お笑いの世界で長く第一線で活躍しているのが、爆笑問題の二人だ。時事ネタ漫才を武器に、時として政治家や大学教授とも舌戦を繰り広げる姿は、間違いなくダウンタウンと並ぶ平成を代表するお笑い芸人であり、芸能界において「お笑い芸人」や「漫才」というジャンルの地位を大幅に向上させたコンビである。


 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』は太田光と田中裕二のフリートークから番組が始まる。ゲストの来るような例外の日を除き、基本的に30~40分二人だけのフリートークに割いている。テレビでは短くまとめざるを得ない話も、丁寧に深掘りしてくれるのはテレビには無い、ラジオならではの魅力と言えるだろうし、舌鋒鋭く時事に切り込んでいく彼らの芸風にとても相性が良いように思う。

 この『カーボーイ』の冒頭フリートークは、無軌道に話題が変容していく。
 時事ネタや近況報告を話していると、太田が突然大学時代の田中のダサいエピソードを思い出し、30年以上前のことをけちょんけちょんにしたかと思えば、対する田中が予想だにしないきっかけで怒りをぶちまけ、あの太田ですら苦笑いするしかないというような、予測不能な具合に二転三転していき、二人とも最初にしていた話題がなんだったかわからなくことも少なくはない。

 これを冒頭の「話の流れ」、「ノリ」、「空気」といった技術論に当てはめると、全く外れているだろう。しかし聴いていて不自然に感じたことは一度もない。大学時代から脈々と続く二人の信頼関係のなせるワザかもしれないが、本当に気の置けない相手とのコミュニケーションであれば、そうした技術なんて不要なはずである。

 「面白いことを言おう」とする会話より、「この相手となら、なにを言っても良いリアクションしてくれる」という相手との会話のほうが楽しいのは自然なことだ。入社面接の質疑応答と、古くから付き合いの友人との居酒屋での会話、どちらが自然な会話になるかの答えは明白だ。そもそも「自然な会話」というものを意識している時点で、多少なりとも不自然である。
 お笑い賞レースなどの発展もあり、一般人でも「間(ま)」というような言葉を交わすようになった。しかし芸人ではない我々が、無理におしゃべりのプロの真似することは無いのだ。そのお笑いの世界で頂点に立った爆笑問題の二人すら、そうした技術論から解放されているように見えるタイミングがあるのだから。

 『カーボーイ』のフリートークには、話芸というものの根幹にある、「楽しいおしゃべり」の本質が垣間見えるように感じている。

 

 この番組のフリートークについてはもうひとつ話したいことがある。すこし楽しい話からは遠ざかる。

 21年、太田光は二度このフリートークで他のテレビでの言動を「釈明」する回があった。一度目が五輪開会式のキャスティングについて。二度目は出演した10月末の衆議院議員選挙での特番についての立ち振る舞いや発言についてである。
 そのものの賛否は別として、共通していたのは、自分の意図や意志を言葉を選びながらゆっくりと語り、少しずつ誤解を解こうとする太田の姿勢だった。言葉のプロとしてうやむやにすることなく、自分と視聴者の双方が納得できる糸口を探していたように感じた。

 こうした「ゆっくりと釈明する」というのも、こちらも速報性が求められるテレビやネットではなかなか難しいかもしれない。しかし安易な解決案を出すことなく時間をかけて物事を解決する姿勢はメディアに限らずいつの時代も必要なことだ。決して「速報性」のメディアを否定するつもりはないが、人間慌てていると間違いを犯し、正確性を失うこともある。

 ラジオなんて時代がかったメディアに思う人もいるかもしれないが、テレビやネットとは時間の使い方が違うだけで、決して古い時代のものではない。爆笑問題の楽しい掛け合いも、太田の誠実に誤解を解こうとする姿勢も、ラジオというメディアの存在意義を「ゆっくりと」教えてくれているように思う。あくまで「ゆっくりと」。

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