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エンジニアは四度泣く

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この前、誕生日を迎え30歳になった。エンジニアを振り返って見るとコンピュータに触れてから十年以上は経っていると思う。一人前のエンジニアになるなんて十年早いと言われたけど、今になってみれば十年で一人前になれたら飛び跳ねて喜ぶだろう。それぐらいコンピュータは奥深い世界だと思う。

過去の自分と比較してみて思ったのが、泣くことがほとんど無くなった。どんなときに泣くかといえば、コーディングしてる最中で、思ったことが出来なくて悔しくて泣くのだ。しかも、泣きながら打ちつづけるので自分の中では普通のことなのだけど、傍からみれば相当に気持ち悪い。そんなに辛いのならやめればいいのにと言われる。でも辛いんじゃなくて悔しいのだ。この開発手法はとても良い結果が出て、悔し涙ドリブンと呼ぶことにした。けどそれは余計な心配をかけるので封印している。

自分はコンピュータの奥深さに飲み込まれていった。プログラミングに多少自信がついてきたが、思ったことを実現するには満足はしていなかった。できることはわかるが、それが良い方法かどうかまでは、まだ自信がなかった。web上には、他人が書いたプログラムのコードが沢山あると知って、確信を得るために読み漁った。書いてある内容は理解出来ないことも沢山あったがひたすら読んだ。javaのライブラリを読んでいるときに自然に涙が垂れていた。いつもの悔し涙かと思ったが感覚が違った。大量の部品があるのにそれぞれがうまくまとまっていた。爪楊枝だけで作った富士山が崩れずに形を成しているように見えた。それは悔しさを越えた感動の涙だった。見た目の美しさもあったが、積み上げると必ず崩れるものだと思っていたものが良い意味で覆された。何より、分かりやすく安定して綺麗に書くことに こだわりをもつ人が世界のどこかにいて、今自分が取り組んでいることが無駄ではないことが分かった。それは受け入れられた気がした。

今は泣くことがほとんどない。これには危機感を覚えている。最初の頃はよく一週間分のコードを全部削除してしまって、泣く泣く書き直すと、大体は前よりも良いものが出来たりした。今は防衛反応でうっかりも減ったし、わざと消す勇気がない。その失敗によって成長機会を逃しているのではないかと思ってしまう。三度目の泣くといえば納期が近くて心の中で泣くぐらいだ。今は泥団子を積み上げても崩れなくてそれなりの山になることを知って、バランスを取るという新たな境地を体験している。泣くことはほとんどを無くなったが、常識が覆されることを今は楽しんでいる。

涙を思い出して、いつか四度目の成功の涙を流してみたい。


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