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映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』感想

アマプラで観ました。
言いたいことは色々あるけどまあいいや。

オレンジピッコロかっこいいね♥悟飯ビーストかっこいいね♥
以上!終わり!

…で許せてしまうぐらいドラゴンボールという作品は偉大なんですけど一応感想記しておきます。
超DB映画の評価としては、

ブロリー>スーパーヒーロー>神と神>復活のF

という感じ。
悟飯の黄金期といえばセル編。今作はそのセル編のリバイバル作品ともいえる構成になっている今作は、
悟飯とピッコロのファン、そしてセル編に思い入れがある人ならなにか思うところは抱くであろう作品となっている。

ドラゴンボール全体に漂う「敵」に課せられた試練

まず大前提として、
ドラゴンボールという作品としての行き詰まり感というか、
Z戦士側のインフレがどうにもネックになっている印象。
現在のドラゴンボールは悟空、ベジータ、悟飯…それぞれ本気を出せば余裕で宇宙規模の戦いを繰り広げられるなかで、
新たな敵を出すことそのものへの無理が生じてしまう。

Z戦士とある程度の戦いを繰り広げつつ作品の格を損ねない敵の登場、
まずこの時点でハードルがデカい。
神と神では今までになかった神の領域への突入、
復活のFではあのフリーザの再来、
ブロリーでは屈指のキャラクターであるブロリーの新登場、
そして今作スーパーヒーローでは、セルの新生であるセルマックスがラスボスだったりと、
今までの敵をリバイバルさせることで原作キャラへのリスペクトを失わないようにしつつインフレについていけるように手を尽くしている。

ただし根本的にそこがドラゴンボール新作における問題で、
現実として遙か過去のキャラクターが復活したところで「スゴ味」が出ないのだ。
あのフリーザが復活。だから何?としかならない。


そして過去のキャラクターを出しつつもドラゴンボールは国民的コンテンツ、
いまさらZ戦士の一人でも欠けることは許されない。

つまりフリーザが復活しても、セルが再誕してもキャラを殺すことができないのだ。
創作者に殺すなと指示された悪者、誰が危機感を抱くというのか。

過去の敵と比べて見えてくる守りの姿勢

ドラゴンボールは「Z」の頃から多くの敵キャラを輩出してきた。
クウラやブロリー、ジャネンバなどがそれだ。

彼らはビルスやジレンに比べて圧倒的に人気があると断言して差し支えないだろう。
もちろん時代が彼らを許したといえばそれまでだが、
今となってはゴールデンフリーザ、セルマックスよりも魅力があるようにすら感じている。

それはなぜか考えてみた時に、
やはり「彼らは躊躇なく人の命を奪えるだろう」という確信めいた予感が彼ら悪役を「悪」たらしめるのだ。
そんな許せない悪だからこそクウラやジャネンバを倒す悟空たちがヒーローで、
その背中に憧れを抱く。

ゴールデンフリーザ相手にお遊び感覚で超サイヤ人ブルーを試す悟空に憧れるだろうか?
望まれず生まれただ暴れまわるセルマックスを倒す悟飯にスカッとするものはあるだろうか?

「悪」はカタルシスを生み出すスパイスなのだろう。
超の映画を見ていると敵キャラの重要性を考えずにはいられない。

『ブロリー』はなぜ面白かったのか

超の映画シリーズを語るうえで触れておきたいのが、映画『ブロリー』の存在だ。
これは面白かった。Zの映画シリーズを含めてもブロリーが一番面白いといえるぐらいの満足感だった。

考えるにブロリーが名作たるゆえんは2つ。
「ドラゴンボールの本懐はバトルにあること」「動かすキャラクターを絞ったこと」の2つだと私は考える。

この映画は話の前半部分をブロリーの出自と、戦いまでの経緯に費やして、
残りの尺を悟空、ベジータ、そしてフリーザとのバトルにほぼ費やした。
これがなんといってもファン…というか私の求めていたドラゴンボール映画そのものなのだ。
ドラゴンボールなんてものは所詮少年漫画で、バトル漫画の金字塔に過ぎない。
大人も泣けるだとか教訓だとかは「面白いから」こざかしい人間がドラゴンボールを評価するときに見出した「教育的」な部分でしかない。

ドラゴンボールの映画は特に、
・フリーザの兄がいたらどんだけ強いの~?
・その兄がメタル化して復活したらどれだけ厄介なの~?
・伝説のサイヤ人がいたらすごくな~い?
・そのサイヤ人が地球にきたらやばくね~?
・悟空とベジータがフュージョンしたらどんな超戦士が爆誕するの~?

子供の興味はこんなノリなのだ。
『ブロリー』はそんな少年の心を見事にくすぐってくれた。

対して『スーパーヒーロー』、これは上述の通り悟飯とピッコロが新たな姿を見せワクワクする要素もあったが、
全体的になんだか説教っぽい印象を受けた。
 実はレッドリボン軍は生き残っていて~
 ピッコロは最近の悟飯に思うところがあり~
 スーパーヒーローのあるべき姿とは~
といった具合。これはドラゴンボールに求めているものか?ドラゴンボールでないとダメか?
少なくとも私は違った。もっとセルマックスには暴れてほしかったし、悟飯ビーストにはそれを粉砕してほしかった。

ビーストへの覚醒

これも正直どうかと思った。
悟空の身勝手の極意。ベジータの我儘の極意。
では悟飯はなにか、やはり『怒りの力』だろう。
悟飯が主役で敵がセル。そして悟飯覚醒とくれば超サイヤ人2悟飯を思い出さないファンはいない。
今作ではしっかりと「あの時」のセルフオマージュを入れてきた。

セルマックスへのトドメを刺すべく孫悟飯に気を最大限まで貯める事を指示し、ガンマ1号ゴテンクスら仲間達と共に時間稼ぎを行うピッコロだったが、仲間達は続々と敗れピッコロもまたセルマックスによる圧倒的な攻撃を受けてしまう。
そしてピッコロが追い詰められたその時、孫悟飯は怒りの力で現在の力の殻を破り、更なる強さへと進化した。

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ピッコロが追い詰められたその時、
そう、追い詰められた時なのだ。
セルが嘲笑に似た笑みとともに16号が破壊された時のような残虐さをセルマックスは見せていない。
強大な敵に仲間が痛めつけられただけなのだ。もちろん悟飯にとっては許せない出来事ではあるが、
私にはセルマックスがどうしても「あの時」のセルのような許せない相手には見えなかったのが残念。

最高の魔貫光殺砲

ここまで酷評してきたが良かった点もあった。
ガンマ1号2号のキャラが良かったのももちろんだが、
ピッコロが「かめはめ波でもなんでもいい」というフリが効いた状態での魔貫光殺砲。
ファンにとって人気の高い技であり、悟飯がピッコロの象徴的な技を使う演出に涙しないファンはいなかっただろう。
密かに練習し、ピッコロに託された状況で放つ「とっておき」、悟飯のピッコロへの思い入れが伺いしれる。

おわり

書き始めてみるとめちゃくちゃ語ってしまった。しかもほぼ酷評で申し訳ない。
それだけドラゴンボールは歴史のあるコンテンツであり、偉大な作品なのだ。
多分これからも文句を言いながら追いかけていくし、ドラゴンボールが大好きなんだと思う。
悟飯ビーストもオレンジピッコロも大好きだし。ぶっちゃけセルマックスも普通に好き。
酷評しつつも観て良かった。


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