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「宮森みどり」、1歳の誕生日なので爆誕秘話を書き残す(前編)

私が「宮森みどり」を名乗り始めて1年ほど経った。名前の由来なんて無い。
いつもより深酒をした夜、パソコンに向かって思いつく限りの自分の作家名候補をググっては同姓同名の人間がヒットしないかを確認していた。
大体誰かがヒットして失意する中、「宮森みどり」という名前の人間はGoogleの中に居なかっただけのことである。

私はすぐにLINEの名前を、instagramの名前とIDを、Twitterの名前とIDを宮森みどりに変更した。instagramの名前を変更したら、Facebookの名前も一緒に宮森みどりに変わってしまった。中学高校の頃の友人たちは、よっぽど親しくない限り私には気がついてくれないだろうなぁという思いが頭をよぎったが、そんなことはどうでもいいことだった。


私の本名との因縁

私の本名は、(ご存じの方も多いかもしれないが)有名な俳優と同じ名前だ。その俳優は、私が生まれたときは無名だったらしいが、幼稚園生の頃になると徐々に有名になっていった。
小学校へ入ると隣のクラスの子や上級生たちが教室を覗いて、「〇〇ってどいつ?キャハハ、名前負けじゃ〜ん」と言って走って逃げていった。学習塾でたまたま同じ名前の友人が出来たとき、自分だけの悩みじゃなかったと喜んだ。
だけど周囲の反応は中学校に入っても同じだった。

高校生の頃、今度は同じ名前の美容師(スタイリスト)がGoogle検索の上位に現れた。その人はホットペッパービューティーの中でランキング上位らしかった。同じ名前の俳優の偽アカウントに、私のSNSのIDをパクられることもあった。

大学に入ると、展示のお知らせや作品の情報が、いくら名前で検索しても全然出てこないことに気がついた。その時バイトしてたITベンチャーでSEOを専門にするマーケターに、どうやったら私のポートフォリオサイトを検索上位にできるでしょうか?と相談したけど、答えは「名前を変えるか、肩書を特殊にしてそっちで調べてもらうしかないだろう」、つまりは無理ということだった。

藝大に入り作家活動を本格的に始めたいと思ったとき、それは大きな障壁になった。
いくら名前を覚えてもらいやすくても、あとから調べてSNSすら見つけづらいことは大きなハンデだと感じていた。

名前というコンプレックス

思い返すと、私の自己紹介のための努力はいつも「誰かじゃない」というところにあったと思う。

名乗ればたちまち「えっ!〇〇と同姓同名?」「え!△△って映画(同じ名前の俳優が主演の映画)に出てたでしょ(笑)」と言われてきた人生だった。
その度に私は「漢字は違うんです」「生まれた頃はまだその俳優は有名じゃなかったんですよ」と半笑いで返した。
同じことを言われすぎて傷つくこともなく、半ば脳死で同じ答えを返した。

自己紹介がそんな感じだと、次の話題の多くは同じ名前の俳優の出演作や、似ている有名人についてになった。私は日本の映画やドラマが大好きだから、別にそれでも良かった。だけど私自身や相手についての会話はその後か、下手したらたどり着かないこともあった。

別に同じ名前だからといって出演作をチェックしているわけでもないし、関心があるわけじゃないのに、その人の話をする時間が多かった。

相手にも悪気がないのがわかっているから、粒立てせずに円滑にコミュニケーションができるように努めた。だけど私はその俳優に、私のことを話す時間を奪われていたのかもしれないと思う日もあった。

宮森みどり爆誕

いつもより深酒をした夜に突然つけた私の名前に、周りの反応は様々だった。 

最初の反応

なにか触れちゃいけないような感じがしたのか、しばらくは誰からも何も言われなかった。少し経つと、ぽつぽつ「名前変えたよね、作家名?」なんて聞かれることも増えた。
一番びっくりしたのは、「名字も変わったね、結婚したの?😅」とLINEをくれた昔の同僚。名前も変わってるし、LINEの名前が変わったことによく気がついたなぁなんて思った。

いくら作家名を変えても、大学院のカリキュラムでは本名だから、同じ専攻の友人たちが一番呼び方に困っていた気がする。というか多分今も困られてる。

宮森みどりとして出会った人

学外で初めて個展をしたとき、私の本名を「宮森みどり」だと思う人がグンと増えた。宮森さん、なんて呼ばれて恥ずかしさもありながら、あぁ私は宮森みどりになったんだ!と誇らしくもあった。

展示などのアートイベント以外で出会った人とインスタを交換したりしても、「なんかみどりちゃんって感じするわ〜」と言われたりして、有名な人と同じ名前じゃないってこんな気分なんだ!と思った。

自己紹介のあとの定型文の会話が無いって、こんな気持ちなんだ!名乗ってもイジられないのってこんな感覚なんだ!自己紹介の中で、すぐに所属や仕事を尋ねられることってあるんだ!

そういう感動に包まれて名乗り始めて半年ほどを過ごしたが、この頃は「宮森さん」「みどりさん」という呼びかけに気が付かなかったり、しどろもどろになっていた。

宮森みどり名義のGmailアドレスをつくり、「初めまして。宮森と申します」という書き出しのメールも多く書くようになった。
この頃はまだちょっと浮かれていた。普段は本人名義で暮らす私にとって、宮森で居る時間は非日常そのものだった。

個展を終えて今

個展のあと、展示・公演・その他の活動を経て、私はどんどん宮森みどりとして人と知り合った。旅先では本名を告げず、すべての時間を宮森みどりとして過ごした。もう呼びかけに気が付かないことはほとんどない。

「みどりちゃん」と呼びかけるLINEが来て、「宮森さん」という書き出しのメールも多く届くようになった。

今は、宮森と名乗り始めたあとに親しくなった人に「本名で呼んでほしい」なんて思ったりすることもある。「宮森みどり」という名前と、まだ距離がある。

それはきっと、この新しい名前に誓った「私らしくいる」ことを成し遂げてないからなのかもしれない。
それとも、「私らしさ」の中にまだ、「有名人と同じ名前の私」が潜んでいるからなのかな。

長くなってしまったので、この話はまた今度。

以前、名称や役割の名前について考えていたことを書いた記事はこちらから

後編を書きました。その記事はこちらから

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