ここは私の心の内をさらけ出す場所

note というのが、どういうものなのかもよくわからないまま、書き始めてしまったので、お見苦しい点、ご容赦いただきたい。

おそらくここには、
母との確執であったり、
身近な人たちには話せないような思いを綴ることになるだろう。
ひと昔前ならば、日記に書くようなことだ。けれど、
同じような苦しみを持つ人の心に届けば幸いだと思う。

今日は天赦日で一粒万倍日、それでnote を始めたのだけど
私は今まで、こういった「暦」に関わる事は少し醒めた思いで眺めていた。
今でも、少しわだかまりはあって、もしかしたらそれを克服したくてわざわざ暦に乗ってみた、ということかもしれない。

その原因は、母だ。
行動の多くを暦に照らし合わせ、霊能者である「先生」にお伺いをたてる、
それが母の常識であった。
もっとも、母の口から天赦日や一粒万倍日という言葉を聞いたことはない。
母が最も重要と考えていたのは、方位である。
日常は方位に縛られ、家族旅行など行ったこともなかった。
近所の人が旅行に行った、などと聞くと、母は私に
「よく平気で出かけられるね。そのうち病気になるよ。おお、いやだいやだ」
と、嘲笑うように言うのだった。
幼い頃からそれが当たり前の中で育って来たので、「洗脳」されていたようなもので、旅行に行くのは悪い事だと思い込まされていた。
しかし、そんな私も旅行に行かなくてはならない時が来た。
小学校の修学旅行である。
母は暦を見て渋い顔をしていた。
「イヤだねえ。こんなところ行くのかい」
しかし、学校行事である。さすがに母も止めさせるわけにはいかないと思ったようだ。代わりに、お守りやらおまじないの品やらを鞄の中にいくつも詰め込まれた。
がっつり洗脳されている私は、不安でいっぱいであった。
けれど、時は昭和、学校行事を病気でなく休むなどあり得ない。
「どうしよう、変な病気になるのかな?それとも事故かな?私じゃなくお母さんに迷惑かかったらどうしよう…」
そんな不安を抱えながらの修学旅行であった。
しかし、というか当然、旅行中も帰って来てからも悪い事は起こらない。
母はしたり顔で「お守りが守ってくれたのだよ」と言っていた。
この頃から、私は、何かがおかしいと違和感を感じ始めた。
旅行のことだけでなく、あらゆる母の言動に。
それは40年経った今も、まだ古傷のように痛むのだけど。
そんな話も、また今度。



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