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『ドキュメント サニーデイ・サービス』

映画『ドキュメント・サニーデイ・サービス』を、先日新宿で見てきた。

サニーデイ・サービスの30年の足跡を振り返り、現在も走り続ける彼らの姿を収めると同時に「コロナ禍という未曽有の状況に放り出された、あるバンドの記録」という貴重なドキュメントにもなっていた。
2020年春、咲き誇った桜が誰にも知られず花を散らしていく姿の美しいこと。揺れる木々や花、風に転がる風船、「コンビニのコーヒー」とともに世界のすべてが疾走するあの冒頭は、何度見てもなんの涙か分からない涙が出る。ライブ会場という閉じた空間で鳴っているはずの彼らの音楽が、それとはまったく関係ない空とか花とか人とか雑草とか、私がいま立っている世界と一気に地続きにバシンとつながって、目の前がクラクラする。

「私とサニーデイ」を書き始めるとめちゃくちゃ長くなるので止める。私にとってサニーデイはデビューの時から一番近くにあり、一番遠かったバンドだった。その距離が変わったのは2020年12月の名古屋ライブ。日頃からお世話になってる監督のカンパニー松尾さんに誘っていただいて参加した新生サニーデイ、コロナ禍のツアー。映画にもあるが、メンバー自ら運転するバンに機材を積み込んでツアーを回っているのを見てびっくりした。

コロナ以降のサニーデイは、その後3回見に行った。消毒・換気・マスクで定位置鑑賞、2020年のライブは「勇気を出して行く」場所だった。翌年4月の名古屋クアトロでのライブもまだ着席だった。でも演奏は素晴らしく自由で、身体は椅子に縛りつけられてても心はどこまででも飛べるんだなあと思った。新生サニーデイが繰り出す音の波に飲み込まれた。

2023年春、ライブの後、曽我部さんにインタビューさせていただく機会があった。ライブを見たことのある人なら知っている通り、その日も全てを燃やし尽くすような演奏を終えた直後だ。バックステージはざわざわした空気に満ちていて、その隅で曽我部さんを待っていた。申し訳なさと緊張でいっぱいだったのだが、いつまでたっても曽我部さんが現れない。長い時間の後、目の前にあった荷物の間から曽我部さんがゆらりと立ち上がってきた時は思わず声が出そうになった。最初から曽我部さんはそこにいたのだった。燃え尽きて倒れ込むように床に沈んでいたらしかった。こんなになるまで命を削っちゃうのか、と心底びっくりしたし、呆れたし、神々しかったし、格好よかった。

30年走ってきたサニーデイの映画を自分の人生と重ね合わせて見る人は多いのだと思う。本人たちもあずかり知らぬところで、誰かの人生とサニーデイは重なっている。エスカレーターで、マリンライナーで、白い夏のワンピースで、一瞬だけのすれ違いも含めたら、どれほどの出会いと別れがあるんだろう。長く生きてるとこんなことあるのかと思うことが時々あるけれど、バンドにもそういうことがあるんだと思う。生きてるとこんな再会があるのかと、私もこの映画とサニーデイに思っている。出会えてよかった。本当に感謝しています。


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