見出し画像

吾輩は、ACである。特に問題は無い。㊴

ちゅう事で、前回の続きですよ。いわゆる霊の話を、極めて主観的に語ろうかという試みです。いつものように注意事項。
・霊などの話題を見るとPTSDなどの症状が出る人は、読むのをやめておいてください。
・人の話を無批判にまるっと信じる人は、読まないでください。

それでは始めますか。

霊はいるのか、いないのか問題よりも、まずは霊感商法に関するスタンスの確認。あなたは何派ですか? という話。

統一教会の霊感商法は、詐欺なのか。この事に関しては、現役信者と元信者の間で、ツイッターや報道等で論争が起きているのです。現役信者は「信仰している人が献金をしたりするのは、感謝からしている事」と言います。それに対し元信者は「あれは教団による詐欺だ。信者は騙されている」と言います。
読者の皆様は、いったいどちらの言う事が事実だと思いますか。

私は元信者の立場なので、霊感商法はれっきとした詐欺だと思っているし、色んな情報発信の場で「霊感商法は詐欺」と主張しています。
ただ、こういう私の活動をもしも現役信者や、霊感商法を肯定している人が見たら、いい気分にはならないだろうな、という事は想像します。

ちなみに、霊感商法の定義を改めてここに紹介します。

・霊感商法・
単なるつぼや印鑑・置き物などに、あたかも超自然的な霊力があるように、言葉たくみに思わせて、不当に高い値段で売り込む商法です。

このことばは要注意
「玄関に入ってすぐ悪霊がついているとわかった」
「悪霊がついて次々に不幸なことがおこります。」
「このつぼは悪霊を取り除く力があります。」
「このつぼを飾っておくと、その日から良いことがあります。」
「この印鑑を使うと幸運になります。」
「印鑑を作り替えないと悪いことがおこります。」
「このつぼを毎朝拝めば悪霊が去って幸せになります。」

情報発信元警視庁 生活安全総務課 個別防犯係
電話:03-3581-4321(警視庁代表)
2022/10/02閲覧

悪霊。不幸。つぼ。印鑑、不当に高い値段で。全部、統一教会がやってた霊感商法なのがアレなんですが……警視庁によれば、霊感商法とは上記のようなもの、という事です。他にも高額なパワーストーンや高額な開運セミナーなどの霊感商法があり、なかなかバリエーション豊かなジャンルといえます。

色んな人が、色んな主張をしていますよ。今いる立場によって、主張が違うんです。当たり前っちゃ、当たり前なんですが。

霊感商法肯定派の意見としては、こういうのがあります。
先祖供養名目の献金は信仰的な行為だから、霊感商法という呼び方で非難されるのは宗教迫害だ、とか。
真面目に信仰している現役の信者が、各メディアによって霊感商法報道が連日行われているせいで世間の批判に晒されて、かわいそう、とか。

霊感商法否定派は、このように証言します。
田んぼに悪霊がいると言われ、不安になった統一教会の信者はその土地を売って献金したが、その信者の家族の今が悲惨過ぎる、という事例。
恋愛をしたら”霊界”で地獄に行くと脅された、宗教二世の悲痛な叫び。
上記の事例は、最近放送されたこのニュースで紹介されています。精神的に大丈夫な方は、ご覧になってみてください。→こちら

霊感商法に対し否定も肯定もしない人に関しては、たぶん、どちらの当事者でも無いので態度を保留している立場なんだとは思います。

色んな立場の人がいる事は、想像できます。
ただ、私は私の意見として、言いたいのですよ。
現に、被害を受けて苦しんでいる人がいる、という事実があるのです。
そしてその苦しんでいる人たちは今までずっと何年も、何十年も、今この時代になるまで隠れて生きてきたんですね。かく言う私もその一人です。
それが、ある事を境に一気に声を上げ始めたのですよ。それが、安倍元首相の銃殺事件でした。事件の犯人が、統一教会に恨みを持つ信仰二世だと報道された時から、宗教二世を取り巻く環境が変わったと感じました。

今はおそらく、霊感商法を肯定している人と、否定する人の対立が激しい時期なんだと思います。傍で見ている人にとっては、どちらも過激な言葉で相手を批判している、と映るかもしれないです。

さて、霊はいるのか、いないのか。それは、誰にも分からないのです。なぜなら、見える人は見えると主張するし、見えない人は見えないと思うだけですから。

私はかつて、霊を見ている人でした。しかしながら、霊感商法のカモになり、自ら霊感商法の手先となっていくなかで、内心の葛藤に耐え切れず棄教したのです。なんというか、統一教会が信者から根こそぎ財産を奪う根拠にしている「霊界」なる概念ないし信念は、他者から金銭を奪う行為と組み合わせたらいけないのです。それをやった時、霊ないし霊界という信仰上の概念は、有害なものになるんだと思うのです。
霊、という考え単体では、さほど問題が大きくはならないのです。

私は、かつての「食口(シック・家族)」に言いたいです。
信仰の自由とは、他者を害さない範囲において、自由なのではないですか。
あなたたちは、全ての人の幸福のために生きようと思って信仰しているのではないですか。
献金によって破滅した人たちの証言を聞いて、良心が痛みませんか。それとも、文鮮明氏や韓鶴子氏(真の父母)の言葉は「人間的に考えてはいけない」から、良心は二の次ですか。
私たちは人間でしょう、そうでないなら一体なんだと思いますか。
祝福二世は神の血統ですか。神の子は、無慈悲ですか。泣いている人、離教した二世が今、何を言っているか知ろうともしないのですか。批判されたから、批判し返すだけですか。憎まれたら、憎み返すだけですか。

***

次回は、霊に関する体験談を紹介しようと思っています。だいぶ前置きが長くなったんですが、今日はここまで。
読んで下さって、ありがとうございました。良い夜をお過ごしください。それではまた、お会いしましょう。ごきげんよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?