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吾輩は、ACである。特に問題は無い。㊳

こんにちは、宮坂 澪(みやさか れい)です。
今日は前回に引き続き、いわゆる「霊」の話をしようと思うんですね。それで、いつもの注意事項。
・霊など、オカルト的な話を見るとPTSD等の症状が出る方は、ここで読むのをやめて下さい。
・他人の言葉を何でも信じてしまう人は、ここで読むのをやめてください。
それでは、始めましょう。

前振り①

それで、何で私は今から、霊の話をしようとしているか、というのを説明するとですね。それは2022年09月22日「ミヤネ屋(日テレ)」で放送された、統一教会関係者とジャーナリストらの質疑応答を見て、こんな事を思ったのですよ。「統一教会の幹部は、霊感商法の被害者に対して謝罪する事は無いだろうな」と。

放送の内容に関しては、ぜひご自身の目で確かめていただければいいと思うのですが。この放送内で「教会改革推進本部」本部長・勅使河原秀行氏(愛称・てっしー)がおっしゃるには、「霊感商法”被害”は刑事事件を起こした2009年以降、指導を徹底したので一件も無い」との事でして。(動画の17分前後)

そしてその発言以降、勅使河原氏の口調がだんだん荒々しくなり、教団に関するメディアの報道に対し、怒りを露わにしておられました。

その後の展開に関しては、直接ご覧になった方が早いと思いますが……報道関係者の質問に対し教団の関係者らが応答する際の、表情、声、身振りなど、「言語外のメッセージ」を見て下されば、教団の運営側がどんな人たちなのか、分かりやすいなと思います。

前振り②

それで、もう一つ資料があるので、ここに紹介します。それは、統一教会によって今現在も行われている霊感商法に関する、内部資料が公開されていてですね。こちらになるんですが。
https://u.pcloud.link/publink/show?code=kZ6ThYVZIkteLaABIGuYIihWVX75dFcgFFMy
(先祖解怨・祝福受付ガイドブック 第5 https://ameblo.jp/20020506/entry-12759490872.htmlより)

統一教会の事をまったく知らない人にとっては、初めて目にする言葉であろう「先祖解怨・祝福」の意味は、霊界にいる人(死者)の供養、結婚式をする、という意味なのです。まあ、信者以外から見たら霊感商法(詐欺)以外の何物でも無いんですが、信者にとっては特別な行事という事になります。
こちらのホームページを見れば、この行事が今も行われている事が分かるのです。
https://jp.hjcbt.org/bbs/board.php?bo_table=notice&page=1

という事で、「2009年以降、霊感商法は一度も行われていない」など、ちょっと調べればすぐバレてしまうような嘘を、何で公共の電波を使って勅使河原さんらに喋らせたのか、統一教会は。不思議です。

長ーい前振りだったんですが、本題。

霊とは何ぞや、ですよ。なにせ霊感商法の根拠ですからね。霊がいて、霊が集まって暮らしている霊界があるというのは。そしてその霊界にいる先祖が地獄にいて苦しんでいるので、生きている子孫の生活が苦しいんだという。だから、先祖供養しなさい、その方法はズバリ、お金よ! というのが統一教会の霊感商法であり、いわゆる統一教会問題(の一つ)なのです。(前振り②内部資料のガイドブック6~7ページ「解怨献金を完納しないと先祖は霊界で苦しむ事になり、結果、苦しさのあまり子孫を恨んだ先祖霊が、子孫に悪さをする」参照)

ちなみにこの供養料、基本料金が70万円と書いてあります。ここで説明するにも、どうしようもない内容なため、気になる方は資料をご覧ください。

ちなみに辞書の定義によれば、霊とは以下の通り。

1 不思議な力や働きをもつ存在。万物に宿る精気。「山霊・神霊・精霊せいれい」
2 肉体に宿ってその活動をつかさどる精神的実体。たましい。
(コトバンクより抜粋・引用 2022/09/26閲覧)

これは余談ですが……なんというか、私などが生まれるよりも大昔から、霊に関しては語られたり、信じられたりしていたのです。
例えば平安時代の「物忌み」などは、神様(目に見えない存在)を意識した風習なのです。
そういった風習は長い時間をかけて、我々の生活の中に溶け込んでいるのです。神社では静かにする、などのマナーが、それにあたるんだと思います。

話を戻すと、統一教会における「霊」とはいったい何ぞや、という話なんですね。

ある日ツイッターにて、とある現役信者のコメントを見たのです。それは、霊の実存に関する意見でした。
「ある食口(シック・家族、信者と言う意味)が祈祷中、目の前で”霊的になり”暴れるのを見て、霊の存在を確信した」という事が書かれていました。

私はそのコメントを見て、こう思ったのです。「ああ、現役信者さんの中には、そういう出来事が霊の実存を確信する根拠になるんだな。だけどそれは、何かの症状ではないだろうか。例えば統合失調症など。または脳機能障害。ちょっと特殊なものだと、変性意識状態か。そういう現象を霊の憑依と解釈するのはいかがなものか。今どき狐憑きでもあるまいし、前近代的な」と。

読者のみなさんは、どう思いますか。もしも目の前で、祈っている途中、突如暴れ始めた人がいたならば。

次回に続く


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