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「青岛またはQingdaoにて」

中国のかかる広大な大地と悠久の歴史の中で、この青島が世界史の表舞台に初めて登場したのは実に19世紀末である。

日清戦争後の下関条約で日本が清国に遼東半島の割譲を迫ったのに対し、共に清国に対する覇権でしのぎを削ぎながら露わな領土割譲要求は控えていた独仏露の三国は日本の動きに強い危機感を持ち、激しい干渉の結果日本に下関条約から遼東半島割譲を削除させた。歴史に言う三国干渉である。

さても二枚舌の欧州列強の中でドイツはその3年後1898年に言いがかり的に遼東半島対面の山東半島南側にある膠州湾の99年間の租借を清国に飲ませた。膠州湾奥にある膠奥の地に軍港を建設、これが現在の青島である。

写真の通り5年後の1903年には青島ビールがドイツ人の手により創業されている。

青島はその後第一次大戦で1914年に日本がドイツ軍港を陥落させ自国領土とした。一時期中国に返還するが日中戦争で1937年に再び自国領土化し第二次大戦の終戦までの述べ16年を占領した。

因みに世界の三船敏郎は1920年に青島の地で生まれている。

かつて日本と欧州列強に翻弄された不幸な歴史を持ちながらも今では人口900万人を抱える巨大港湾都市となった青島にて、遠い歴史に想いを馳せつつ、今自分がここにいることの意味を改めて考えてみる青島の夜。

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