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春という人生の波止場

中央線の列車の中。

元気いっぱいスタジャンの袖を肘までたくし上げたかと思うと、今度はバッグから取り出したピカピカのSuicaを目をキラキラさせて見つめる少女がいた。

大学か専門学校の新入生に違いない。

俳聖芭蕉翁は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」と奥の細道に書いたが、春という年度末から年度始めの今の季節はさしずめ人生の波止場のようだと思う。

春には旅立ちと別れと出会いと始まりが行きあい、あたかも船出と入港が交錯する波止場のようであり、そこは溢れる涙と歓声と緊張感、そしてひときわ熱い人いきれに満たされる。

しかし、桜の花が散り去ってすぐに人々から忘れられるのに似て、しばらくするとざわつきはやがて収まり、人々はまた日常の中に吸い込まれるかのように戻って行く。

ぼくはこんな波止場のような春のざわめきが好きだ。春と言う過客が巡り来るたびにそう思う。

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