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FB愛

二〇十一年三月。未曾有の惨禍をもたらした東日本大震災の記憶は、八年の月日を経て未だ尚私たちの脳裏に鮮烈に、且つ深く重く甦る。
一方で、彼の大震災が、この列島に住まう多くの人々に、他者との心の「絆」や「共感」の大切さを思い出させ、数え切れない新たな行動を踏み出させる契機となったこともまた広く認められた事実だろう。

時を同じくして、米国発のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、フェイスブック(以後FB)が国内で爆発的に普及した。同サービスのユーザ数は二〇一〇年末の三〇八万人が震災発生半年後には一千万人を超え、現在は二千八百万人となっている。大震災が人々の心にもたらした変化がこのFBユーザ数増加の事実と符合していると考えている。
私自身は二〇〇九年にFB登録をしたが、実際に友達の繋がりを増やし、交流を深めていったのはまさにその震災後の日々だった。当時のFBの中の空気感は、誰しもが震災後の哀惜や不安、無力感から立ち上がり、他者との繋がりを術とし何とか前に進もうとするようなものであったことを身体感覚的に記憶している。

さて、FBは当時まだ米ハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグが二〇〇四年に開始した。FBが注目を集めた理由はプロフィール写真と併せた「実名登録制」だった。日本でFB以前に普及していたSNSのツイッターやmixi、並びにネット社会への個人参加は基本的に「匿名性」を前提としていた。
震災前年まで日本人の匿名性志向の国民性が強調され、FBの普及を疑問視する向きが多かった。しかし、一旦普及が始まると、誰もが実名でプロフィール写真と共に登録し、高校や大学の出身校を公開した。

この実名登録と出身校の明記はFBの普及において重要な役割を担ったと思う。何十年も離れ離れになり、異なる人生を、異なる土地、環境で送って来た同窓生の絆を繋ぎ、紡ぎ直すことに劇的な効果を発揮したのだ。
私たち高三十二回同期の仲間も三十余年の時間と物理的空間の距離を飛び越えFB上に再集合を果たした。

個々人の繋がりが少しずつ生まれ、次にメンバー内のみに情報共有ができる高三十二回グループを震災直前二〇十一年二月に立ち上げた。現在では同期八クラス三百六十人の実に四割近い国内外在住の百三十一人がFBグループに参加している。

同期交流は、古い写真の共有で昔話に花を咲かせることや、個々人の近況報告のみには留まらない。全国各地でリアルの小規模な同窓の集まりを誘発した。悩みを抱えた友が告白すれば、それに対し各地にいる複数の友が意見やアドバイス、励ましの言葉を贈る。
圧巻は二〇十四年十一月に福田和幸元教諭のご指導の下文芸誌「伊賀百筆」掲載を果たした「伊賀ことば辞典」編纂に関わるFB上での協働作業だった。

伊賀地元、大阪や京都、東京、神奈川、名古屋、愛媛など各地に散らばる同級生が一年近くに亘り、早朝に昼に夜中に、懐かしい伊賀の言葉を思い出しては文字に起こし、その言葉が使われる文脈や伊賀の文化背景について大いに話を弾ませた。

同窓全体をより幅広く繋ぐ場もあるべきだと、二〇十二年五月、高三十三回の宮田浩史君と卒業年や居住地を問わない新たなグループを立ち上げた。現在、参加者は百五十六名になっている。この情報基盤を活用すれば伊賀言葉辞典を遥かに上回る成果が出せるに違いない。
人生来し方の異なる時代、所属組織の友人同士が知らぬ間に友人となり、新たな展開を創り出す現象も決して珍しくないFBの醍醐味だ。
同窓生全体で是非この現代の道具を最大限活用して欲しい。異なる世代、職業、環境にある同窓生が有機的に繋がる。恒常的に母校や故郷伊賀に恩返しができ、同窓生全体にも利益をもたらす「エコシステム」の構築は夢ではないと思う。

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