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赤目四十八瀧心中未遂的尼崎追憶

「赤目四十八瀧心中未遂 車谷長吉」

 先日帰省時に行った赤目四十八瀧の写真をFBに上げたところ、Tさんにご紹介頂き本日読了。
 意外に重いテーマの一冊だったが、ふとこんな過去の経験を思い起こさせられた。

 題名は赤目四十八瀧が入ってはいるが、物語の舞台は阪神尼崎。
 阪神尼崎と言うと、関西では「アマ」と呼ばれる少し特別な場所だ。
 学生時代、そのアマの中でもかなりディープな地区の病院で、週末、ややブラックな事務当直のアルバイトをしていた。

 救急指定病院なのに、消防署や救急車からの緊迫した受け入れ要請を「当院は只今手一杯なので」と言って断る。
 断らないと、アルバイト医師や看護士の女子たちに怒られるからだ。替わりに医師が出前の寿司をご馳走してくれることもあった。

 「繋げてもらえへんやろか?」と言って、詰めた指を持って来院する暴力団関係者。

 「明日から東南アジア遊びに行くねんけど、性病にならんよう抗生物質出してくれや!」と言う横柄な商店主風の中年男性。

 人が亡くなる夜。
 バタバタとスリッパの音がにわかに慌ただしくなり、やがて看護士から内線があって、葬儀屋を呼ぶように言われる。
 最期は深々と医師と看護士と一緒に見送ると一段落。

 いつも夜半を過ぎると必ず発作を起こしては来院する、生活保護の公害病喘息患者。
 薬は、医者の処方箋を見て、ぼくが薬を出す。粉薬は天秤で計量して、分包器に目分量で分けて調剤していた。薬事法違反だがもう時効だろう。

 丑三つ時に院内全体をサーチライトを持って見廻りするのが、おっかなくて苦手だった。見廻り後のナースステーションでのお茶ととりとめのないおしゃべりが楽しみだった。

 ややブラックなアルバイトではあったけれども、社会をちょっとだけ複眼的に垣間見ることができた貴重な経験だったと思う。

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