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アルコール依存症への道 (その3)

断酒20年のヨウスケです。

 前回の続きです。

 大学の方も正式に中退してこれからどうしていくのか真剣に考えていかなければならないはずなのに、とりあえずホテルのアルバイトに出かけ、酒を飲んで、空いてる時間はパチンコや麻雀にのめりこむことの多い毎日。

 こんな私でも当時彼女はいたのですが、デートはというといつも居酒屋、公園のベンチなど座っていても缶ビールは手放さない。酔っ払っては自分のことは棚にあげてバイトの愚痴ばかり。そんな有様でした。

 自分の問題はアルコールの飲み方にあると分かっていてもどうすることもできない。

 精神的にも不安定になり、他の大学に行っていた少し離れた地域の友達の下宿に行って4〜5日朝から晩まで飲み通すことがあったり、夜に広島の大学に通っていた友達のところに突然連絡も無しに新幹線に乗って行ったこともありました。

 この時は広島駅から最終の電車で友達の下宿に行ったのですが、部屋が分からず、広島駅まで歩いて1時間半くらいの道のりをビールを飲みながら引き返し、駅の近くの川のほとりで始発まで飲みながら時間潰しをしているとホームレスっぽいおじさんが声をかけてきて、朝まで話しましたが何を話したのか全く覚えてません。

 その後は無事友達と合流して彼は試験前にもかかわらずあちこち連れて行ってくれました。当然飲みっぱなしでしたけど(苦笑)。

 こんな感じの現実逃避を時々繰り返してました。一応ホテルの方には連絡はしてたと記憶してますが、してなくて音信不通状態になってたこともあったかもしれません。

 結局大学を辞めてから2年くらいホテルの方でお世話になりましたが、その間に酔うと記憶を無くしてしまうことが当たり前となってきました。

 始めの方は昨日こうだったとかこんなことをしたと周りが話してくれていたのですが、そのうち何も言ってくれなくなったのがまた不気味というか逆に恐ろしくなってきました。

 バイト先の後輩も育ってきて、自身のアルコールの問題含め居場所が無くなりつつあると感じ始めていた頃に昔の知人から学習塾を開くので手伝ってくれないかと声がかかり、4年半ほどお世話になったFホテルを一応円満な形で辞めることになりました。

 アルバイトの立場でありながら送別会もきちんとしていただき、総支配人はじめ上司の方々にも出席していただき、本当にありがたい送別会でありましたが、お約束で酔いつぶれてしまい。みんなに担がれて居酒屋を出たようです。

 このホテル時代を最後にどこに勤めても半年くらいしか続かない生活が続いていきます。

 色々あったホテルですが、現在の私の仕事の組み立て方や心構えなどはこのホテルで培ったものがベースになっていますし、何よりお世話になった上司の方々や先輩、仲間達には今でも感謝しています。

 このホテルも私の断酒から10年後に閉館することになり、現在は建物も残っていません。

 これから先は自伝風の時系列に沿った書き方ではなく、色々なテーマをエピソード風に書いていこうと思ってます。

 読んでくれた皆様に感謝します。




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