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連休の帰省、そしてまた、草津へ帰る

温泉街が好きだ。それもギュッと詰まった感じの、地元の雰囲気も感じられるような温泉街が。

九州で暮らしていたときは時々酔っ払って夜中に別府行きの高速バスの予約をした後、翌朝に予約したのかしていないのか良く覚えていないままバスターミナルヘ向かい、良く一人別府へ訪れていた。

2022夏。まず最近の僕はというと昨年7月に入籍をして、その後今年の3月から宮崎に住んでいた妻を東京へ呼んで、二人暮らしをスタートしたのであった。叔父と祖母が長野に住んでいるので、東京に住み始めて随分と長野が近くなったことは嬉しいことだった。

以前はなかなかもらうことが出来なかった盆休みも転職を経て得ることができるようになり、8月半ば、10日間ほどの休みをもらった。なるほど世の中はこのように動いていたのか、と混雑する成田空港から妻の地元である宮崎へのフライト待ちの時にふと黒ラベルをデッキで二人で空けながらふと思いつつ、連休前半は九州へと帰った。

北海道が僕の地元。わざわざ暑い時期に暑い場所へ帰らなくても、とも帰ってから思ったけれど、それでも猛暑の中飲む九州の芋焼酎は最高だった。

そして連休後半戦。2年振りにまた、草津へ訪れた。

草津の街は大好きだ。何よりもコンパクトなところがとても大好きだ。特に今回の草津訪問で楽しかったのは長野から来てくれた叔父と合流できたことだった。妻と訪れた今回の旅は、叔父のアテンドで全てが動いていった。賑わう西の河原へと続く商店街の中にある蕎麦屋と居酒屋。それから温泉旅館も、全て叔父の知人がされているお店だった。

草津に惹かれている。その理由は観光地らしさを時に忘れさせるような”地元感”だった。街中の公衆浴場、地元の人が集う居酒屋、ゆったりと流れる空気。それは箱根では感じることが出来なかったものだ。そのどこか「ホッとする」草津の空気の流れというものを、叔父のアテンドが確信させてくれた。

ゆく先々、叔父の知人だった。泉のように湧き出る信州と群馬の日本酒に舌鼓を打ち、舞茸の天ぷらも頂き(そう、僕は草津では舞茸の天ぷらと日本酒があれば90%くらい完成されてしまうくらい群馬の舞茸の天ぷらを愛しているのだ)、あっという間に我々の記憶は草津の湯けむりの中に消えていったのであった。

叔父の知人の温泉旅館にて夜8時に目を覚ました。着ていた服はびしょ濡れ(いささか日本酒風味)だし、テーブルの上には3/2ほど空いたテキーラの瓶が転がっているし、妻はリュックを無くしているし(後ほど自分たちの隣の部屋にて発見された)、カタカナで表現するならばハチャメチャな夜だった。

血筋、というものは時に大変悩ましいものである。懇々と泉のごとく湧き出る酒を砂漠の中でオアシスを見つけた旅人の如く口にし続ける我ら(もちろん妻も含む)は、誰も止めることのできない特急列車のようなものであった。

いささか反省した後、妻と宿の草津の湯に浸かり、酔いをさました(つもりになり)湯畑のセブンイレブンへ向かい、腹が減ったと握り飯とからあげ弁当を買い、足湯に浸かりながら握り飯を齧り、また宿に帰り酒を飲み、気付いたらひっくり返った。

台風が懸念された草津訪問であったけれど、また訪れることが出来てよかった。それも今度は一人ではなく三人で。静かな落ち着いた場所で、賑やかな三人で集まれたことは、少し二年前とは異なっていた。街の空気も、温泉の泉質も、変わらずだったけれど。自分を取り巻く環境は良い方に動いていっているような気が、朝方の妻が寝ている最中に一人で入った旅館の朝風呂で思ったのであった。

東京にいるとなかなか温泉に入る機会が少ない。それでも、時に遠出して入る最高の泉質の温泉は、雑踏に揉まれる日々の一つの息抜きとして僕の中に確実に位置を占めているのであった。たまには妻と温泉に訪れるのも悪くなさそうだ。

こんな記事を書いた翌朝には、友人が住む小田原を訪れて箱根に連れて行ってもらうのだけれど。その話はまた、次回に。


台風をなんとか避けた8月初旬。草津は涼しかった。
宿の部屋から。青空と蝉時雨が心地よい。
叔父の知人がされている「蕎麦 かない」にて。出汁の鰹の風味が最高だった。


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