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一つの部屋の中で、チームとして

ロウリュの話。

ゆったりと過ごせた8月の夏休みが明け、早くも9月がやってきた。仕事で忙しい日々がまたやってきた。8月最終週から東京はすっかり涼しくなり、エアコンの出番も少しずつ減ってきている。涼しい夜に開けた窓の外からは気付けば虫の鳴き声が聴こえるようになり、「何の虫だろうねえ」と話しながら相変わらず妻と焼酎のソーダ割りを飲んでいる。お湯割りを飲む季節が少しずつだが近づいてきている気がする。

そんな8月は、振り返れば毎週末温泉に入っていた。宮崎の青島温泉、群馬の草津温泉、神奈川の箱根温泉、そしてこの間は近場の小平の温泉。

東京にいると銭湯で済ませてしまうことが多く、正直なところなかなか温泉に触れる機会は宮崎に住んでいた時よりかは減ってしまった。それでも毎週末温泉に入れたのは本当に贅沢な8月を過ごせたな、と思うのであった。

その中でも友人に連れられて妻と3人で向かった箱根の「箱根湯寮」は本当に心に残る温泉だった。箱根の泉質はもちろんのこと、大好物である「ロウリュ」を久しぶりに体感出来たのだ。

僕のロウリュとの初めての出会いは大学受験の時だった。宮崎市内のビジネスホテルに大学受験日の3日前くらいから現地入りしていた僕は、今更勉強をしても仕方がないと割り切り、とにかくホテルの建物内にあった温泉に入り浸っていた。朝起きて朝風呂、昼には少し散歩したのち汗をかいたので昼風呂、少し昼寝をして夕飯を食べて(チキン南蛮、という食べ物はなんて素晴らしい料理なのだろうと思った)寝る前に風呂。

温泉マークを思い出していただきたい。丸の上に三本の「〜」な縦の線。一説によると一日三度の温泉が程よい、とのことであのマークになったという説もあるらしく、18歳の僕は律儀に大学受験を前に律儀に一日三度の温泉をキメていた。

その温泉施設の中で出会ったのが、ロウリュだった。一時間に一度のロウリュの時間が訪れると裸の漢たちが吸い込まれるようにサウナ室に入っていく。
三段ほどの段差が設けられたサウナ室の前方にはカンカンに熱された石が置いてあり、そこからじわりじわりと熱が肌に伝わってくる。そこにやってくるのが温泉施設のロウリュスタッフだった。

「本日のロウリュを担当させていただきます、〇〇と申します。どうぞ宜しくお願いいたします」

随分と丁寧に挨拶をしてくれるのだな、と思っているとサウナ室内は拍手に包まれた。周りに流されて自分も手を叩いていた。ロウリュスタッフはTシャツと短パンを履いており、右手には黄色いバスタオルが一枚。これから何が始まるのか訳が分からなかったが、次の展開を待った。

「これからコチラの石にアロマウォーターを掛け蒸気を発生させ、こちらのバスタオルで皆様に扇がせていただきます。非常に暑い風が当たりますので、無理はなさらぬようお願いいたします…」

ただでさえ暑いサウナの室内が、これから蒸気まみれになり、それを扇いでくるとは、なんということか。。。未知のサウナ体験がこれからやってくる。

ロウリュスタッフの彼は持ち込んだ廊下に持って立たされるようなブリキのバケツからアロマウォーターを柄杓で取り、それをサウナストーンの上に掛ける。「ドヴァーーッ」という音と共にとてつもない量の蒸気が上がり、それと同時に心地よいアロマオイルの香りが室内に立ち込めた。その時はラベンダーだったような気がする。

「ラベンダーオイルには!心身をリラックスさせる!効果があり…!抗菌作用も!期待されて!います…」と灼熱のサウナストーンの前で説明を入れながら額に汗を滲ませながらロックフェスに来たかのようにロウリュスタッフはバスタオルを頭上でぶん回した。熱波が一気に肌に触れてくる。吹き出すような汗の量は、今までのじんわりと汗をかくサウナとは別次元だった。

その後ロウリュスタッフは室内の客に対して一人ひとり熱風をバスタオルで扇いで当ててくれた。

決勝戦、サッカーの後半89分、得点1-2でリードを許している。しかしながらゴール前にてスローイングのチャンスを得た。遠くまでスローイングで届けることができれば、うまく行けば得点に繋がるかもしれない。これが、本当に俺たちの最後のチャンスになるーーー。

そんな勢いでスローイングをするような動作で、バサッ、バサッ、と一人あたり5回の熱風サービス。サウナの室内には20名ほどの男性がいただろうか。一人ひとり、異なった姿勢でロウリュスタッフの熱風を浴びる。僕は右の人に習って両手バンザイスタイルでその熱波を浴びたのであった。

20人全員に5回のスウィングをロウリュスタッフの彼は完璧に行った。毎回が最後のスローイングであるかのように、美しいフォームで、確実に風を合計100回送り込んだ。

最後まで途絶えないその勢いと安定した風のクオリティは本当に素晴らしかった。いつしか僕はそこに職人のような「カッコよさ」を覚えていた。サウナ室は単なる部屋ではなく一種の「会場」となっており、サウナ客はもはや客ではなく「チームメイト」だった。

室内の蒸気はサウナストーンに掛けられたアロマウォーターだけではなく、今やオーディエンスの汗も満ちていた。ただそれは決して不快なものではなく、ロウリュスタッフも含めたサウナ室全体、いや、「会場全体」の努力の結晶のように思えてならなかった。

「以上をもちまして、今回のロウリュを終了させていただきますーーー。ご参加頂きましてありがとうございました」

その言葉の後、サウナ室内には割れんばかりの拍手が響き渡った。左右の人の手まで滲んだ汗が拍手と共に自分の身体に飛んでくる。それももはや心地よかった。前半90分、後半90分を戦い抜いたサッカー選手のような、試合を全員で戦い抜いたような、そんな一体感があった。

そう、僕たちはあの瞬間、一つの部屋の中で、チームとしてロウリュに参加していたのだ。

それが僕の初めてのロウリュとの出会いだった。

遠赤外線サウナでじっくりとテレビを見たり、考え事をしたり(僕は眼鏡を外してサウナに入るのでテレビは見えないため、大体頭の中で晩ごはんの献立について考えながらサウナに入っている)しながらサウナに入る行為が個人戦だとするならば、ロウリュスタッフがアテンドしてくれるロウリュの時間は団体戦と言えるのではないだろうか。

あの独特の雰囲気と一体感は、あのロウリュスタッフも含めたあのロウリュの空間でしか味わえない、サウナ好きにとっての桃源郷のような気がしてならない。

箱根湯寮でのロウリュ体験は本当に久しぶりのことで、素晴らしい汗をかけた。そして友人とロウリュに入る、ということは同じ試合に参加するようなもので、なんだか心地よい達成感を覚えたのであった。

また東京でも宮崎でも箱根でもどこでもいい。ロウリュという試合に、全裸の見知らぬ人と「チームメイト」として参加できたなら。これ以上の幸せは無いのかもしれない。都内のロウリュ、探してみよう。

初めてのロウリュとの出会いのその後。

サウナばかり入った後の大学受験で無事に宮崎の大学に合格した僕は、入学後に軽音楽部に入ることになる。初めての部会に参加した時に先輩の顔を見て僕はハッとした。初ロウリュの時にバスタオルを扇いでくれたあのロウリュスタッフが、同じ部室の前に集っていた。S先輩、元気してるかな。

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