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人の世の無常と愛の祝福を表現したペルシアのルバイヤート(四行詩集)

世は思い出
われらは去りゆく
人に残るのは善き行いのみ ―「シャーナーメ(王書)」

正義は人生の指針たりとや?
さらば血に塗られたる戦場に
暗殺者の切尖(きっさき)に
何の正義か宿れるや? -オマル・ハイヤーム「ルバイヤート」

 これは太宰治の『人間失格』で紹介されるオマル・ハイヤームの「ルバイヤート」の一節で、訳者は堀井梁歩(ほりい・りょうほ:1887~1924年)である。

 太宰の『人間失格』にも引用される堀井梁歩が訳した「ルバイヤート」は、1938年に出版された訳詩集『異本 留盃耶土(ルバイヤット)』として刊行された。ハイヤームの普遍的な平和への情感を堀井はやや強い調子で訳しているが、現代にも通じる戦争や暴力の本質を表しているかのようだ。『人間失格』の出版は1948年だから堀井の訳は日本でその評価が定着していたのだろう。

『四行詩集』第1歌と第2歌 https://blog.goo.ne.jp/rubaiyat_2009/e/093846e5222605f05a89852b6346d5fd


 堀井梁歩は秋田市に生まれ、旧制秋田中学から旧制一高に入学したが、軍事教練を嫌って、姿をくらまし、退学した。また徴兵忌避者として軍への入隊を強制されるが、医務室に入り浸るようになった。堀井は軍とか軍隊生活を徹底して嫌った人物だった。自由主義の考えに共感し、森の中にこもって自給自足生活を送り、インドのガンジーにも影響を与えた作家ヘンリー・ソロー(1817~60年)に傾倒した。堀井は、アメリカ留学後、秋田に戻って農場を経営し、新生農民運動を提唱した。

 堀井は詩と酒を愛したが、「この世は虚しい。だからせめて酒を飲み美姫を愛で、束の間の宴を楽しむとしよう。どうせすぐに土に還る定めなのだから」というハイヤームの世界は堀井の生き方に通ずるものがあった。

ビートルズの“While My Guitar Gently Weeps” https://rockinon.com/blog/kojima/197914


 ビートルズのナンバー「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」は、1968年に発売されたアルバム「ザ・ビートルズ」の中に収録されているが、その和訳の一節は下の通りだ。
世界を見れば、変化している事に気付く
僕のギターが静かに涙を流している。
どんな過ちからも、僕達は学んでいくべきなんだ
僕のギターが静かに涙を流している
(和訳はhttps://lyriclist.mrshll129.com/beatles-while-my-guitar-gently-weeps/ より)

 ビートルズのこの曲が発表された1968年は、ソ連をはじめとするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」を軍事力で制圧し、フランスでは「5月革命」があり、大学の改革、ベトナム反戦、労働者の管理問題の改善が唱えられた。米国では4月にキング牧師暗殺事件があった。この曲を作ったビートルズのジョージ・ハリスンは、世界にもっと愛があれば、過ちを乗り越えられると考えた。歌手の加藤登紀子も、世界で「戦争と平和、自由を求める人たちとそれを圧殺しようとする力」があった1968年を歌手生活の始まりの年だったと回想している。

 米国では保守的な階層は社会の安定を望み、1968年の大統領選挙でリチャード・ニクソンに投票したが、ニクソンは「反戦運動する人たちは海外の共産主義者の手先だ」と形容するなど学生運動に対する容赦ない姿勢を見せた。オハイオ州にあるケント州立大学では州兵が学生たちに発砲し、4人が死亡する事件も1970年5月4日に発生した。手段、方法、社会の性質こそ違え、ニクソンの手法は国内での反戦運動を断固認めない現在のロシアのプーチン大統領の姿勢を彷彿させるものがあった。

学生たちの運動を封じる州兵たち ケント州立大学 1970年5月4日 https://www.zinnedproject.org/news/tdih/kent-state-massacre/


 ジョージ・ハリスンはこうした世界の混沌とした動静を強く意識し、「ホワイル・マイ・ギター」を作ったのは、普遍的な愛が世界でより意識され、また強調されれば、対立や憎悪、紛争を乗り越えられるという願いがあったからだった。

君を見てわかったよ、愛は眠りに落ちてしまったと
僕のギターが静かに涙を流す間に
(僕は)君を見てわかったよ
でも僕のギターは静かに涙を流したまま

 この歌の歌詞は四行詩によって構成されていて、ペルシア詩のオマル・ハイヤームの『四行詩(ルバイヤート)』を思い起こさせるが、ジョージ・ハリスン自身もハイヤームに傾倒していたボブ・ディランの叙情的スタイルと詩の押韻構成に影響されたと語っている。オマル・ハイヤームは、そのルバイヤートの中で人の世の無常と、愛の祝福を表現した。


知は酒盃(しゅはい)をほめたたえてやまず、
愛は百度もその額(ひたい)に口づける。
だのに無情の陶器師(すえし)は自らの手で焼いた
妙(たえ)なる器を再び地上に投げつける。 ―オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』(小川亮作訳)

 ビートルズの「ホワイル・マイギタージェントリー・ウィープス」が説く普遍的な愛は暴力の行使がいかに無益か、また力による勝利がいかに幻想的で、空しいかを教えてくれている。多数の民間人の犠牲を省みず、イスラエル・ネタニヤフ政権がガザへの徹底的で、残忍な攻撃を継続する中で、ハイヤームの詩の情感はいよいよ普遍的な価値をもっているように思う。



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