パリ・オリンピックの聖火トーチはフランス社会に平等をアピールする
25日、パリ・オリンピックの聖火トーチのデザインが発表された。上下左右を対称にして平等を表し、曲線と丸みを帯びた形状は平和を象徴、また開会式などが開かれる水も表現しているのだそうだ。
特に「平等」はフランス自身が抱える問題で、特にフランスに自省が求められている。先月27日にもアルジェリア系の17歳の少年が警官に射殺されて抗議運動や暴動が全土に広がったばかりだ。聖火トーチは特に平等の問題をフランス社会に検証するように言っているようにも見える。フランスでは移民が多いパリ郊外などで警官の振る舞いが人種差別的とアムネスティ・インターナショナルなど人権団体によって再三非難されてきた。
フランスはカリブ海地域などで奴隷制によるプランテーション農業を経営していた。フランス革命が成立しても、植民地主義経営は、自由や平等という共和主義の理念を世界に広めるという文明化の使命を担い、共和主義の理念を実現するものと身勝手に解釈された。19世紀から20世紀にかけてはパリ・ブローニュの森に「人間動物園」があり、アフリカのヌビア人、ソマリア人、アメリカ・インディアン、イヌイットなどの人々がラクダやキリンなどの動物と一緒に展示されていた。こうしたフランス植民地主義の伝統や歴史も現在の差別を形成する背景や要因となっているに違いない。(浜忠雄「フランスにおける『黒人奴隷制廃止』の表象」北海学園大学人文論集、第66号、2019年3月)
2019年にカンヌ映画祭で審査員賞を受賞して、日本でも20年2月に公開されたフランス映画「レ・ミゼラブル」は、移民や低所得者層が多く暮らすパリ郊外のモンペルフェイユを描くものだった。モンペルフェイユは、ビクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」(1862年)でも舞台となったところだ。日本での公開に合わせて来日したラジ・リ監督は、「ユゴーの時代から150年経った今も、悲惨な人々が存在する状況は全く変わっていない」と述べた。
フランスは第一次世界大戦の時、アフリカの植民地から兵士や労働者として数十万人を動員して、フランスの戦争努力に協力させた。また、第二次世界大戦でも同様に、フランスはアフリカやカリブ海地域出身の兵士たちを前線に送ったが、この時はナチス・ドイツの人種主義と戦うという大義をもち出して、彼らに精神的満足を与えようとした。1946年には300年余りの植民地支配を経て、カリブ海のグアドループ、マルティニーク、インド洋のレユニオン、南米北東海岸にあるフランス領ギアナをフランスの海外県とするなど黒人に配慮する姿勢も見せた。
フランスは1960年代から70年代前半にかけて労働力不足を背景に移民受け入れを積極的に行い、この時期20万人とも見積られるアフリカ系の人々がフランスに移住してきた。第二次世界大戦終結から1975年までは「栄光の30年」と呼ばれるフランスの経済成長時代だった。それでも、黒人の移民社会は貧困、人種主義、社会的隔離などの問題に遭遇するようになった。
第四次中東戦争による石油危機を契機とする不況は、フランス政府は移民からフランス人に職を取り戻すことを考え、1976年には「帰国奨励政策」に着手し、本国への帰還を希望する移民労働者に1万フラン(約20万円)を与え、その帰国を支援しようとしたが、成功したとは、まったく言えなかった。
2018年のサッカー・ワールドカップでは、優勝したフランス代表チーム23人のうち19人が移民か、移民二世たちで、アフリカ系の選手が15人だった。移民主体のチームが優勝したことにフランス社会全体が熱狂したが、ラジ・リ監督は「あれは一種の幻想にすぎない」と述べている。フランス社会における人種差別は、アルジェリア独立戦争のイデオローグ・フランツ・ファノンが1958年に「アフリカの男よ!アフリカの女よ!武器を持て!フランス植民地主義に死を!」と激越に呼びかけた時代から変わっていないように見える。先住民や少数民族差別の問題は日本にも「人間動物園(人類館)」があり、現在もヘイト的書き込みが繰り返されるように、日本社会も無縁ではない。
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