見出し画像

モハメド・アリと平和の追求、「あらゆる宗教は同じ真理をもっている」

 1964年2月、ビートルズは初渡米し、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンになる直前のカシアス・クレイと共演した。白人と黒人が無邪気にじゃれ合う姿は人種差別が当たり前の社会で、新鮮な驚きを与えた。ある黒人ジャーナリストは「白人と黒人の間に共通項があることを知ることができた」と語っている。(NHK「映像の世紀バタフライエフェクト ビートルズの革命 赤の時代 『のっぽのサリー』が起こした奇跡」より)

https://twitter.com/ct_nba/status/738992602800783361  より

モハメド・アリの平和への想いは、彼の生誕地にあるルイスビル大学に「モハメド・アリ平和・社会正義研究所」が創設され、平和に関する教育や研究が継続されていることでも生き続けている。この研究所はモハメド・アリの理想のように、人間の尊厳を尊重し、市民としての責任や自覚をもち、また平和や公正の実現する人材を育み、平和のための永続的で、効果的な戦略を創造することを目標とする。平和や人種差別撤廃を求めたアリの理念はこの研究所などを通じて若い世代に引き継がれるようになっている。

「俺の故郷では黒人は犬なみに扱われているのに、なぜやつらは俺に軍服を着せて、一万マイルも離れたところに行って、ベトナムの茶色い人々に爆弾を浴びせろっていうんだ?」

モハメド・アリはイスラームが平和の宗教であることを事あるごとに訴えていた。アラビア語の「イスラーム」という言葉は、アラビア語の「サラーム(平和)」という単語から派生するように、イスラームという宗教の根幹にあるのは「平和」の概念である。

「イスラームは平和を意味する。『ムスリム』という言葉は神に帰依する者を意味するが、しかし、メディアはムスリムを憎悪の人間のように扱う ―モハメド・アリ

ウズベキスタン・サマルカンドで 1978年

 平和を意味するイスラームを信仰するようになったのは、彼が徴兵でベトナム戦争に赴く可能性があったことと無関係ではない。また、神の前の平等を説くイスラームは人種主義社会の米国で育ったモハメド・アリにとって自ずと魅かれる背景があった。

 カシアス・クレイが「モハメド・アリ」としてイスラームに改宗するきっかけとなったのは、白人が黒人奴隷を殴り、キリストに祈りを強制することを描いた漫画だった。この漫画は、キリスト教の信仰は白人支配層によって黒人に強制されたものであることを表すものであったが、アリには強い衝撃となった。この漫画でアリは、キリスト教は自らが主体的に信仰する宗教ではないことをあらためて知ることになった。また「カシアス・クレイ」という名前も白人から強制されたものであると考えるようになった。現在の自分の宗教や名前を維持することは人種主義の文化や伝統の中で生きることではないかと思いをめぐらせていく。

 このあたりの経緯はマルコム✕の改名のそれと似ている。マルコム✕も生まれもった彼のファミリーネーム「リトル」は白人によって押し付けられた名前で、名前をマルコム・リトルからマルコム✕に変えたが、イスラームに改宗する黒人たちは皆同様な想いであったに違いない。

 1964年にソニー・リストンを倒してヘビー級のチャンピオンになると、改宗を公表し、「アッラーと平和を信じる。自分が何で洗礼を受け、キリスト教の信仰をもっているのか、その時は知る由もなかった」と発言している。しかし、イスラームが最上の宗教と考えていたわけでは決してなく、宗教は名称が異なっても同じ真理をもっていると後に主張するようになった。

 モハメド・アリは、神が「モハメド・アリ」という人物について最も関心があるのは、彼が善良な人間で、真の信仰者として生活しているかどうかだと語るようになった。モハメド・アリは米国の内外で、困窮する人々を助け、ジェンダー、経済、また人種的な平等を説いて回った。世界の戦争や暴力の前提になるのは食べ物や医薬品の不足、また宗教の名の下に人々が不寛容になるからだと考えた。911の同時多発テロについて聞かれると、イスラームの人々は寛容であるべきであり、異なる信仰をもつ人々を理解すべきだと思うと述べ、その寛容が911テロの前に実現しなかったことは残念だとも語っている。

アイキャッチ画像はモハメド・アリとビートルズ
1964年、下のページより


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?