見出し画像

パリは燃えているか ―「私はあなたたちを信じています」

 11月27日放送のNHK「映像の世紀 バタフライエフェクト パリは燃えているか」は、第二次世界大戦におけるドイツのパリ占領と、作家アンドレ・マルローがパリを唯一無二の街にした3人として名前を挙げた、ココ・シャネル、シャルル・ドゴール、パブロ・ピカソに焦点を当てていた。「パリは燃えているか」は「映像の世紀」シリーズのテーマ曲(加古隆作曲)だが、同名の映画はフランス・アメリカの合作で1966年に公開され、豪華な俳優陣とともに話題になった。ドイツのヒトラー総統はパリから撤退するドイツ軍にパリの破壊と焼却を命じたが、パリ駐留のドイツ軍司令官フリードリヒ・フォン・コルティッツ大将はこれに従うことはなかった。ヒトラーは急かすように「パリは燃えているか」とパリのドイツ軍に繰り返し尋ねる。

早川書房より


 番組の中で紹介された「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)は16世紀から存在する、パリ市の紋章にある標語だ。帆いっぱいに風をはらんだ帆船の図とともに刻まれているラテン語は、「どんなに強い風が吹いても、揺れるだけで沈みはしない」ということを意味する。水運の中心だったパリは戦争、革命など動乱があっても消滅しなかった。パリが不滅であることや、市民の不屈の精神を言い表す言葉だ。

パリ市の紋章


 パリ市民の不屈の精神を表した歌に加藤登紀子などが歌った「さくらんぼの実る頃」がある。

「サクランボの実る頃」
さくらんぼの実る頃を歌う時、
陽気なナイチンゲールや
おしゃべりツグミが浮かれ出す。
きれいな娘たちはのぼせ上がり
恋人たちは心も朗らかになる
サクランボの実る頃を歌う時、
おしゃべりツグミもずっと上手にさえずるだろう。
私はいつまでもさくらんぼの実る頃を愛する。
その時から私の心に残る ざっくりと開いた傷口!
運命の女神が私のもとにつかわされても
この苦しみが癒えることはないだろう
私はいつまでもさくらんぼの実る頃を愛する
そして心に残るあの思い出もまた!

 この有名なフランスのシャンソン「サクランボの実る頃」の詩は詩人ジャン・バティスト・クレマンのパリ=コミューン時代の経験を基にし、シャンソン・アンガージュ(プロテスト・ソング、反戦歌などが含まれる)のジャンルに含まれている。彼はフォンテーヌ・オ・ロワ街のバリケードで20歳ぐらいの若い女性に会った。彼女は野戦病院付の看護師で籠を手にしていた。サン・モール街のバリケードが陥落したので、こちらの方に何か役立つことはないかとクレマンたちに言ってきた。「われわれは、彼女を敵から守れるかどうか分からないといって断ったにもかかわらず、彼女は頑として、われわれのそばから離れようとはしなかった。/われわれが知ったのは、ただ、彼女がルイズという名前で、婦人労働者だということだけであった。」/後年1885年、『シャンソン集』刊行に際して、クレマンは、かれのもっとも有名なシャンソン、『さくらんぼの実る頃』を、この英雄的な娘ルイズに献じている。」(大島博光著より)

パリ・コミューン150年記念 「パリ燃ゆ―名もなき者たちの声」 大佛次郎記念館 開催期間:2021年9月11日(土)~2021年12月25日(土) https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/6512


 パリ=コミューンは普仏戦争後にドイツ帝国との講和条約を結んだフランス臨時政府に反旗を翻した1871年3月18日から5月28日まで継続した市民・労働者による革命政権で、革命政権によって逐われ、ベルサイユに逃れていた臨時政府(ベルサイユ政府)によって制圧されて3万人が犠牲になった。

 ドキュメンタリーの中で、2015年11月パリ同時多発テロが発生してから3日後、パリ・レピュブリック広場に目隠しをしたムスリム男性が立った。その足元には「私はあなたたちを信じています あなたも私を信じてくれるなら 抱きしめて」と書かれてあった。彼の訴えに応じる人々が続々と現れて彼を抱きしめるようになった。


番組の最後に下のドゴールの言葉が紹介される。
「パリにはあらゆる出身の あらゆる意見を持つ人たちが集まっている 友愛の隊列を組んでともに進めば どれほどの値打ちを発揮するか 私たちは知っている 祖国の中で 自由に 強く 愛に満ちた 幸福な人生を送ることを夢見ない若者は ここフランスには ひとりもいないということを 私たちは知っている」(ドゴールの言葉)

映画「パリは燃えているか」より ノートルダム大聖堂の上にフランス国旗が掲げられる https://drouot.com/fr/l/21156984-dimitry-fedotov-scene-from-paris-is-burning-by-rene-clement


 ドゴールの言葉はパリで暮す移民たちのことを意識していないに違いない。1961年10月には、30、000人のアルジェリア系市民のデモに対して、パリの警視総監であったモーリス・パポンは力による弾圧を命じ、少なくとも200人のアルジェリア系市民が橋から放り投げられるか、銃撃されるか、警棒で殴打されて死亡した。パポンはドイツ占領下のビシー政権時代に1、560人のユダヤ人の強制収容所移送に関わった人物とされる。

映画「パリは燃えているか」より https://m.imdb.com/title/tt0060814/mediaviewer/rm1758013440


 現在のマクロン政権下でもムスリムに対する差別構造には変化がなく、国内の排外主義的な傾向と、アルジェリアなどにおける植民地主義の負の歴史と向き合うことがないことも、国内のイスラム教徒たちに疎外感を与えることになっている。パリ郊外のアラブやアフリカの第二世代が住む地域の失業率は50%にも上るとみられている。

映画「パリは燃えているか」より アラン・ドロン、レスリー・キャロン、ジャン・ポール・ベルモンド https://www.linternaute.com/cinema/star-cinema/2567832-jean-paul-belmondo-et-alain-delon-amitie-a-la-ville-rivalite-a-l-ecran/2567874-paris-brule-t-il

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?