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アラビア語を話していたシチリア島のユダヤ人 ―“わたしたちが正しい場所に花はぜったいに咲かない”

 地中海に浮かぶシチリア島のパレルモは831年からイスラム勢力が進出し、878年にシチリア島を支配するようになると、パレルモは島の中心として発展するようになった。パレルモはレバノン人の祖先であるフェニキア人の植民市として生まれ、それからローマ、ゲルマン、ビザンツの支配を受けた。アラブの指導者たちは島の先住民たちに信仰の自由を保障するなど、アラブ支配は寛容なもので、ユダヤ人たちも経済的な繁栄を享受するようになる。アラブ支配の末期、パレルモは、ビザンツ帝国のコンスタンティノープル(人口60万人)、スペインの・コルドバ(人口45万人)に次ぐヨーロッパ第3の都市となり、35万人ほどの人口を抱えていたと推定されている。

パレルモ サカナのマーケット https://www.lookphotos.com/en/images/71189419-Fish-vendor-Ballaro-Market-Palermo-Sicily-Italy-Europe

 パレルモは現在でも移民の町で、主にムスリムから成る25、000の人々がバングラデシュなどから移住している。元々モスクだったサン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会 (Chiesa di San Giovanni degli Eremiti)にはモスクのミフラーブ(メッカの方角を示すくぼみ)が残り、ノルマン人たちもイスラムの痕跡を破壊せず、キリスト教信仰に役立てた。現在のムスリム移民たちも、パレルモのイスラム、キリスト教、ユダヤ教の共存の歴史から疎外された意識をもつことが希薄とされる。

パレルモ聖堂 https://www.britannica.com/place/Palermo

 アラブに代わってシチリアを支配するようになったシチリア王国の初代国王ルッジェーロ2世(在位1130~54年)は、5歳の時に父親から離され、ギリシア人、ムスリムの個人教師からコスモポリタンな多言語の文化を教えられた。シチリア王国は、ラテン語、アラビア語、ギリシア語が公用語の多言語の社会であり、宮廷でもこれらの言語が用いられていた。クリスチャンやユダヤ人であってもアラビア語を話し、逆にアラブ・ムスリムであってもギリシア・ラテン語に通じていた。シチリア王国の首都パレルモに住むアラブ人は多く、キリスト教の王の宮廷で働くアラブ人も同様に多く、彼らはキリスト教に改宗することなく、イスラムの信仰やその文化、さらには言語を維持していた。

パレルモ https://handluggageonly.co.uk/13-very-best-things-to-do-in-palermo-italy/

 2018年7月に成立したイスラエルの「ユダヤ人国家法」ではユダヤ人の言語であるヘブライ語のみを公用語として、アラビア語はそれまでの「公用語」としての地位を失った。この国家法は他にもイスラエルにおいてユダヤ人にのみ民族自決権があり、イスラエルはユダヤ人の歴史的な国土であり、また「ユダヤ人入植の拡大」についてはイスラエル政府が「奨励して促進する国家的価値」として、さらには東エルサレムをも含む「統一エルサレム」をイスラエルの首都と訴えている。

 この法律について、ハリウッドの女優ナタリー・ポートマンは、同年12月13日、ロンドンの「アル・クッズ・アル・アラビー」紙とのインタビューの中で、「ユダヤ人国家法」が人種主義であり、誤りであるとコメントした。イスラエル国内には人口の2割に近いアラブ人や、1.6%のドルーズ派の人々もいて、ユダヤ人国家法は彼らを事実上「二級市民」として扱うものだというのがポートマンの考えだった。ヘブライ語以外の言語は排除するというのはナチス・ドイツが占領地でドイツ語以外の言語を認めなかったことにも通底するようだ。

ユダヤ人国家法は人種主義以外の何物でもない ーナタリー・ポートマン https://twitter.com/RT_com/status/1073650077036670979

 シチリア島でのイスラム支配はおよそ200年続いたが、1072年、ノルマン朝の都となると、さらに諸文明の融合が進み、12世紀ルネサンスの一つの中心地となった。現在、パレルモにはアラブ風の建築物が観られるが、それはアラブ人たちによるものではなくて、イスラム文化の強い影響を受けたノルマン人たちによってつくられたものだ。

“わたしたちが正しい場所に花はぜったいに咲かない 春になっても。

  わたしたちが正しい場所は踏みかためられて かたい 内庭みたいに。”

――イェフダ・アミハイ(イスラエルの詩人)「わたしたちが正しい場所」より

 パレルモは、スペイン・トレドと並んでギリシア・ヘレニズム文化を、イスラム文化を介してヨーロッパに伝える中継地点ともなり、アラビア語・ギリシア語文献の翻訳活動が盛んに行われ、12世紀ルネサンスの誕生に大きく貢献した。一つの言語に固執していたのではアミハイの詩のように、豊かな文化や平和が花開くことはない。

パレルモ キリスト教のパラスティーナ礼拝堂 天井にはアラビア語が刻まれている 2021年10月

 イスラエルで強まる狭量なナショナリズムの問題は我々日本人も無関係ではない。漫画家のヤマザキマリさんは、『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』(集英社新書、2015年)の第5章「あらためて、『ルネサンス』とは? ―多様性と寛容さが世界を救う」の中で「国や郷土は誰にとっても大切なものです。しかし、その場所に対する排他的な執着心や、変化というものを嫌う鎖国的な日本の精神性を、私はどうも好意的に捉えることができません。」と書いている。多様性や寛容に基づく文化の相互作用や交流こそ狭量なナショナリズムを超えていっそう豊かな文化や文明をもたらすことは間違いないと思う。

アマゾンより

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