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世界で初めて空を飛んだイスラムの科学者 ―中世におけるイスラムの先端科学

 今日のBBCニュースによれば、イギリスのムスリムに対するヘイト・クライムは、昨年10月7日のハマスの攻撃以来、2010件と前年の同時期に比較すると、600件増加した。イギリスのイスラム・ヘイトに取り組む組織「テル・ママTell Mama」による調査結果だが、

https://www.bbc.com/news/uk-england-68374372

 ヨーロッパでのムスリム差別の背景にあるのは、イスラム世界は劣っているなどという偏見や侮蔑の思いもあるに違いなく、過去におけるムスリムたちの世界の科学や学芸に対する貢献を知らないか、意識することがないに違いない。

 ギリシア文明は紀元前6世紀から紀元後2世紀まで継続したが、その学術的遺産は5世紀から15世紀の間、ヨーロッパでは失われることになった。アリストテレス(紀元前384~322年)、ヒポクラテス(紀元前460~377年)、プトレマイオス(83年~168年頃)らの業績はムスリムたちが再発見し、復興させ、また蓄積も行っていった。もし、ムスリムたちの貢献がなければギリシアの学問的遺産は永遠に消滅したかもしれない。

アリストテレス の 名言 https://word.cocotasu.com/aristotle/


 また、紙、印刷、灌漑、風車、農業技術、コンパス、ガラス製造、貿易システム、1から10までの数字システム、紙幣、小切手、病院、都市デザイン、庭園技術などはムスリムの発明だった。ヨーロッパの学者たちはこれらの知識をイスラム・スペイン(アンダルシア)やシチリア島で獲得していった。ヨーロッパの学者たちは12世紀になると、アラビア語文献を翻訳し始め、次の3世紀の間、アラビア語による学問的成果はラテン語に翻訳されていった。

振り子時計もアラブ人の発明 https://www.youtube.com/watch?v=HWVt9kE0r2k


 11世紀から13世紀にかけてヨーロッパ世界がアラブの学問的業績に接し、またその導入を行う中心となったのはスペイン、イタリア南部、シチリア島だったが、その中でも最も重要だったのは数世紀にわたってムスリムとクリスチャン、ユダヤ人が共存していたスペインで、アラブの学芸は11世紀と12世紀に後ウマイヤ朝などイスラム王朝や、イスラム支配に代わったキリスト教の統治の下で繁栄し、多言語に習熟していた学者たちがアラビア語からラテン語やヘブライ語への翻訳を積極的に行うようになった。とりわけ1085年にキリスト教支配に置かれたトレドはその翻訳作業の中心となり、遠くはウェールズやスカンジナビア半島からもヨーロッパの学者たちを集めていた。

「アラブの風車がある丘」 A Hill with an Arab Windmill Under Construction, A Town in The Distance by Francois Antoine Bossuet - 18" x 24" Premium Canvas Print https://www.amazon.com/Windmill-Construction-Distance-Francois-Antoine/dp/B017TFJEIM


 イギリスのロジャー・ベーコンが世界で最初の飛行機の設計図を書き、レオナルド・ダ・ビンチが飛行機の原型をつくったとされているが、スペイン・コルドバの発明家、技術者のアッバース・イブン・フィルナース(810~887年没)は翼をばたつかせて飛ぶオーニソプターをつくってコルドバ近郊の丘陵で飛行を試み、数分間飛翔した。また、世界初の機械時計はイタリアのミラノで発明されたことになっているが、このイブン・フィルナースは、9世紀にコルドバで最初の時計を製造した人物だった。

ドバイのフィルナース像 https://www.aeromuseo.org/abbas-ibn-firnas-primer-hombre-en-volar/


 また、ガラスの鏡は1291年にヴェネツィアで最初に製造されたことになっているが、実際は11世紀のイスラム・スペインで作られた。ヴェネツィアのガラス職人たちはガラス製造に関する技術をシリアから導入した。

ヴェネツィアのガラス細工 2021年10月


 振り子はガリレオによって発明されたとされているが、アラブの天文学者のイブン・ユーヌス(950~1009年)がカイロで10世紀に発明した。彼のその著書の中で振動運動について書いているが、15世紀にムスリムは振り子時計の製造を行うようになった。イブン・ハイサム(965頃~1041年頃)による『視学の書』のほぼすての内容は、ロジャー・ベーコンの主著『大著作』の第5章に見られている。

 翻訳作業の先駆けとなった著名な人物に、フランス人として初めて教皇(シルウェステル2世、在位999~1003年)になるオーリャックのジェルベール(940頃~1003年)がいる。彼はスペインのカタルーニャ地方で、アラブの数学や天文学を修め、アバカス(そろばん)や天体観測儀であるアストロラーブの解説書を著し、当時ヨーロッパ世界では解くことができなかった数学にも解法を与え周囲を驚かせた。アラビア科学の成果を自分の弟子たちに伝え、神聖ローマ帝国のオットー3世に政治的アドバイスをも与えるようになった。

 イタリア人のクレモナのジェラルド(1114頃~1187年)は、プトレマイオスの『アルマゲスト(アラビア語で「天文学大全」の意味)』をトレドで見つけ、そのラテン語への翻訳はコペルニクスが現れるまで、ヨーロッパ天文学に基礎を与えるものだった。彼は、30年から40年かけて翻訳作業に従事し、ユークリッドの『原論』、フワーリズミーの『代数学』、イブン・スィーナーの『医学典範』、アリストテレスの『物理学』『生成と消滅について』などを翻訳し、ヨーロッパ学芸の発展に大きく貢献した。


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