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イスラムとユダヤの文化の相互作用が顕著に見られたスペイン・コルドバ

 後ウマイヤ朝の初代アミールのアブドゥッラフマーン1世(在位756~88年)は、756年にコルドバを制圧して、王朝を興しました。50万人の人口を抱えるこの都市には数千人のクリスチャンやユダヤ人も居住して、彼らは支配層ではなかったものの、ムスリムと共存し、コルドバはユダヤ人を迫害していた他のヨーロッパ地域とは異なる寛容の都市でもありました。ユダヤ人たちはカトリックで禁じられていた金貸し業にも従事して貨幣経済の発展に貢献します。
(James Burke, The Day The Universe Changed (1985)

スペインを愛好した天本英世さん https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250244_00000


 ユダヤ人とイスラムの文化の相互作用には深遠なものがあり、11世紀までにたいていのスペインのユダヤ人たちはアラビア語を話し、ユダヤ教の寺院であるシナゴーグはイスラム建築を模倣して建立されました。キリスト教の芸術が人間の姿を描く傾向があるのに対して、イスラムとユダヤ教は文字を多く取り入れて描いたが、シナゴーグの絨毯もムスリムの礼拝用のマットに倣ってつくられました。

 イスラム統治時代のスペインではクリスチャンもユダヤ人も、聖典を共有する、コーランに説かれる「庇護民(ズィンミー)」として扱われ、一切の権利をはく奪されるようなことはありませんでした。

コルドバのシナゴーグ モスクのデザインと変わらないですね https://it.dreamstime.com/fotografia-stock-sinagoga-nel-quarto-ebreo-di-cordova-spagna-image65424297


 イスラム・スペインで生まれたスーフィー思想家のイブン・アラビー(1165~1240年)は、異教徒や罪人までにも神の顕現を見る寛容な心をもった人間こそが「完全人間」であると考えました。異教徒や異なる考えを排除する風潮がイスラエルなど各地の極右や過激派に見られる中でアラビーは現代に通じる貴重なメッセージを残しました。

私の心はあらゆる形態を受け容れるようになった。
羚羊(ガゼル)のための牧草地、キリスト教修道僧のための僧院
偶像崇拝者の聖地、巡礼者が周囲をくるくる回るカアバ神殿
トーラー(ユダヤの律法書)の刻印、クルアーン(コーラン)の書
私は愛の宗教を告白する。
愛の隊商がどこに向かおうとも、愛こそが私の宗教であり、信仰である。―イブン・アラビー


 ムスリムたちは水車やカナート(地下水路)を導入して、農業生産を高めていきます。そこには砂漠の民が歴史・伝統的に築いてきた知恵がありました。灌漑システムの充実と柑橘類の樹木をインドから輸入したことによって、オレンジやレモンがスペインの代表的な農作物となっていきます。

ムスリムがつくった水車―コルドバ https://www.sciencephoto.com/media/89272/view/islamic-waterwheel-cordoba-spain

 ムスリムたちは他にもザクロ、ナス、アーティチョーク、クミン、コリアンダー、バナナ、アーモンド、ヘンナ、アカネ、サフラン、サトウキビ、コットン、米、イチジク、ブドウ、桃、アンズなどを栽培していました。
ロンドンには街灯一つなかった時代に後ウマイヤ朝のコルドバには50万人の人口が11万3000軒の家に住んでいました。コルドバは「ヨーロッパの貴石」とも形容される都市で、公園や噴水、果樹園、壮大な建造物があり、紙がいまだにヨーロッパに知られていない時代に本屋だけでなく、70以上の図書館がありました。

 ニューヨーク・ハンター・カレッジの人類学教授ジョナサン・シャノンは、フラメンコは東洋と西洋文化の重要な仲介的役割を果たし、スペインの音楽的ルーツの多くがイラク・バグダードからコルドバにやって来たジルヤーブ(789~857年)にあるならば、フラメンコもまたジルヤーブがイベリア半島にもたらしたレヴァント(東地中海世界)の音楽にその起源があるだろうと語り、フラメンコのことを「ジルヤーブの子供」と形容しています。(Jonathan Holt Shannon, Reforming Al-Andalus)

フラメンコ・ダンス https://vovworld.vn/en-US/cultural-rendezvous/flamenco-a-traditional-folk-dance-of-spain-939034.vov


 ジルヤーブはイラク・バグダードで生まれ、822年にコルドバに移住し、後ウマイヤ朝の宮廷音楽家になったリュートの演奏家で、コルドバに世界で最初の音楽院を創設しました。イベリア半島北部の音楽はローマ時代以前のケルト音楽に影響を受けましたが、南部はジルヤーブの活動に見られるように、東方オリエント世界の文化的影響が強く、またユダヤ人も彼らに寛容なイスラム支配の下で、スペインの音楽形成に重要な役割を果たしました。シオニズムというナショナリズムに訴えるイスラエルの極右の人々はこのイスラムとユダヤの文化の相互作用の時代に教訓を得てほしいものです。

ジルヤーブ(想像図) https://www.youtube.com/watch?v=_RoV2A4_FK4


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