龍神さまの言うとおり。(第13話)
新宿中央公園にあるカフェのテラス席。洋介は、二十六年前の高校時代を思い出しながら、改めて自分の前に座る恭子の姿を見つめた。
「あの時・・・、二十六年前に、もっとストレートな会話をしていれば、たぶん僕たちは結婚していたと思う。でもね、龍神さまのお告げを考えると、そんなシナリオにならないほうが良かったんだよ」
洋介の言葉に恭子は、何か腑に落ちないような顔をした。
「じゃあ、もし私が龍神さまのお告げを三河くんに話して、そのあと私たちが結婚していたら、予定したシナリオって、どうなったのかな?」
「たぶん、離婚してた。その後、今の配偶者と再婚という形で結婚していたと思うよ。本来のシナリオへ修正するためにね。ただ、その再婚では、これまでよりもっと辛い経験をしたんじゃないかな?それと、二十六年後の嬉し楽しの暮らしはキャンセルされたと思う。以前に、フェリーの中で話した龍神伝説に登場する貧しい漁師と同じパターンでね」
洋介の話しを聞きながら恭子は、二十六年前に教えてもらった龍神伝説を思い出していた。
「豊漁が続いて長者になったのに、龍神さまのお告げを他言してしまって、それ以降は不良続きで、元の貧乏な漁師に戻ってしまった話ね」
「うん。それ以外にも、日本には同じような伝説や寓話がたくさんあるけど、それらが意味することは、たぶん二つあるような気がする」
「どんな意味?」
恭子が、身を乗り出すようにして聞いた。
「一つ目は謙虚に歓ぶこと。天界の龍神さまから言われたことに反する行為って、謙虚じゃないし、心から歓んでいない証拠だよね。そして、二つ目は潔く諦めること。たとえ、天界の意図に反した行為で、予想外の状況になっても、それを潔く学びと捉えて諦める、つまり忘れることだね」
「謙虚に歓ぶ。そして、潔く諦める・・・、何だか難しそうね」
「まあ簡単に言えば、流れに任せて生きることかな。あの龍神伝説に出てくる貧しい漁師は、急にお金持ちになったから、全て自分の思い通りになると思って、驕り高ぶった勢いで他言してしまった。有難いことがあれば、謙虚に『有難う』と言って、おしまいにすればいいんだよ」
洋介の言葉に恭子は、再び腑に落ちないような顔をした。
「じゃあ、私たちって、今日こんな・・・、普通じゃあり得ないような偶然の出逢いをしたけど、それはどう理解すればいいの?」
考え込む表情をしながら、少し間を置いて、洋介が言った。
「まぁ、お告げを守ったご褒美だね。あとは、この出逢いに感謝しながら、流れに乗って嬉し楽しの暮らしをすればいいんだよ」
「それって・・・、『その時が来た』ってことかな?」
「え?」
恭子の発した言葉が、洋介には想定外だったことで、次の言葉が見つからなかった。ただ、そこには何か特別な思いが込められているような気がした。
「まぁ、そっ、そういうこと・・・、かな」
洋介の中途半端な声に、恭子は真剣な眼差しで次のように言った。
「二十六年前に、三河くんが言ったセリフ・・・、覚えてる?」
「えっ?僕が?」
恭子の言葉に、洋介は一瞬考え込んだ。しかし、洋介の目の前にいる恭子の表情は、かつて高校時代の体育祭最終日に、二人で会った時の表情とダブって見える。
「もしかして、あの日・・・、生徒会室で言った・・・」
恭子は、黙って頷いた。
「あの日、三河くん、『その時が来たら』って、私とのファーストキスを断ったでしょ。もしかしたら今日、その時が来たってことなのかも。あの時、私が潔く諦めたから、二十六年経った今、やっと・・・」
恭子が、すがるような表情で洋介を見つめて言った。
「あれは、確か・・・、体育祭の最終日・・・」
そう言った洋介は、高校二年生で迎えた初秋、二日間に渡って開催された体育祭の最終日に行われた、後夜祭での出来事を思い出していた。
二十六年前、初秋。
愛媛県の八幡浜高校で二日間に渡って開催される九月初旬の体育祭は、その日、最終日を迎えていた。すべてのイベントを終了した夕暮れのグラウンド中央では、後夜祭のキャンプファイヤーに火が点けられて、赤い炎がメラメラと立ち昇り始めている。
これは、洋介がメンバーとなっている生徒会の計らいで実現したイベントで、体育祭が終了した後も、その余韻を味わいたい学生たちのために企画した”炎を囲むフォークダンス”であった。
洋介と恭子も、その炎を囲むダンスのラインに入り、フォークダンスをしていた。やがて二人が一緒に踊る順番がまわって来たところで、恭子は洋介につぶやいた。
「終わったあと、一緒に帰ろっか」
「いいよ。じゃあ、六時に生徒会室で待ってる」
二人が下校前の待ち合わせをする際は、時間を見計らって生徒会室で落ち合うことが多かった。部活動で生物部の部長をしていた洋介は、主任教諭の推薦で、体育会系部長と対をなす文化会系部長という生徒会の役職を任されることになった。そのため、授業や部活動以外での時間は、ほぼこの生徒会室で過ごしていたのである。
「分かった。じゃ、後で生徒会室に行くね・・・」
「うん、待ってるよ」
そんな会話の後、二人のダンスタイムは終わり、次に来るダンスの相手へと交代した。
別の男子学生と踊る恭子の姿を横目でチラっと見ながら、洋介は若干の嫉妬心を覚えた。それは、洋介が既に恭子を愛おしい女性と捉えている証しでもあった。二人で訪れた龍王池で、不思議な現象を一緒に体験して以来、恭子という存在に対しては、単なるガールフレンドではなく、愛おしい女性という感情が洋介の心の中で芽生えていたのである。
そして、午後六時。
学校内の校舎と校舎の間には、中庭のような緑の空間があり、そこには木造平屋建ての売店に併設する形で、広さ十平米ほどの生徒会室がある。
ひとり、生徒会室で十月の文化祭に向けた計画書を作っていた洋介は、ふと人の気配を感じて、入口ドアへ視線を向けた。すると、小さなノック音とともに、スライド式の引き戸が、ゆっくりと十センチほど開いたのである。
引き戸の開け方や時間からして、恭子に間違いないと思った洋介は、いつものように「どうぞ~」と声を掛けた。
「大丈夫、僕一人だけだよ」
洋介が二度目に発した声を聞いて、やっと安心したのか、恭子は目を輝かせながらも、恐る恐る引き戸を開いた。
第14話へ続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?