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金属バットの適温にふれる

あまりにも好きなもののことは、誰でも読めるメディアに書き残したくない。しかもそれが人気を博すものだったら、その名前自体が記事の質に影響を及ぼす。そんな風に自分の好きを消費したくない。し、本人たちは多分こういうのを書く人を好まない。のだけれど、今回はさすがに、これだけは今の気持ちとして書き残しておきたいと思う。金属バットについて。


大学4年生だった2017年春、就活で出版業界を受けては落ちるを繰り返していたころに、金属バットという漫才コンビに出会った(正確には「追い始めた」)。今となってはなんのそのだけれど、当時は面接で落ちることを自分が否定されているように感じてしまい、その度に気持ちまで奈落に落ちていく感覚があった。面接会場に行くまでの時間がとにかく憂鬱で、だから移動時間はラジオバンダリー(当時YouTubeにあげられていた金属バットのラジオ)を聴いて気持ちを和らげていた。こてこての関西弁で気だるそうに話すふたりの会話がとにかく聞き心地が良くて、その空気感に「気張らなくてもいい」と自分を俯瞰で見る余裕を何度もくれた。ダメでもなんとかなる。良ければ儲けもん。そんな風に思える魔力がそのラジオにはあった。

そのおかげで出版業界に、なんてドラマティックな展開なんてなく、約1年間ひたすらに面接に落ち続けた私は、だからといって浪人する勇気もなかった(単純に金は稼ぎたかった)から、滑り止めで唯一受けていたまったく別の業界に就職した。それは単純な作業で、とにかく孤独な仕事だった。でも運転をする仕事だったから、その道中はとにかくいろんな芸人のラジオを聴いていた。いろいろ聞いたけれど、特に好きなのはやっぱり金属バットのラジオバンダリ―だった。新卒で就職した2018年春から今の(別業界の)会社に転職する2021年秋までの約3年半、私はプライベート重視で生きてきた。自分でちゃんとお金を稼げるようになったからと、大学生の頃よりも頻繁に、金属バットが出ているいろんなライブに足を運んだ。大阪に住む金属バットが東京の劇場にくることがだんだんと増えてきたことがとにかくうれしかった。

少し戻って2018年のM-1敗者復活戦。金属バットのネタはもとより平場でのコメントが話題を呼んだとき、私はテレビ画面の前で文字通り震えていた。そう遠くない未来で彼らはきっと決勝に進出するはずだ。そう期待せずにはいられないほどの圧倒的地上波デビュー(正確には違うけど)だった。しかし、その年から5年連続で準決勝に進出する(ワイルドカード含む)という偉業を成し遂げた彼らは、それでも最後まで決勝に上がることはなく、今年ラストイヤーでの予選敗退。ついに金属バットがM-1の決勝に上がらない世界線をこの先も生きていくことが決まってしまった。今年のM-1は、もちろん甘くないのはわかっていたはずだけれど、どこかで準決勝まではストレートでいくだろうと思っていた。それがいかに大変なことかわかっていたはずなのに、金属バットなら大丈夫という良くない期待の仕方をしていて、だから準決勝の結果が出た日はやけ酒をした。一人だと泣きそうだったので友達と一緒にスナックで歌った。その間もふと頭によぎるたびにしんどくなった。

いつの間にか、こんなにものめり込んでしまっていたんだなと不思議にも思った。私はお笑いはもちろん映画も漫画も音楽も、とにかくエンタメが浅く広く好きで、ひとつのものに対してのめり込むということはほとんどしてこなかった。ひとつを愛しすぎて、それがなくなってしまった時のつらさに耐えられなくなるのが怖かったからだ。だからのめり込むことはせずに、あくまでたくさんある好きなもののひとつとして金属バットも見ているはずだった。それなのに、この6年という年月が緩やかに好きを蓄積させ、自分でも気づかないうちにどっぷりのめり込んでしまっていた。

とにかく悲しかったけれど、正直、昨年の敗者復活戦を鑑みたらワイルドカードで準決勝に上がれるだろうとは思っていた(そのシステムについて思うところはもちろんあるけれど)。でもそこじゃなかった。ラストイヤーの金属バットの決勝への上がり方として、たとえファイナリストには選ばれなかったとしても、敗者復活から這い上がるというストーリーは少なからず彼らのこれまでの軌跡を考えるとごく自然なものだと思っていた。でもワイルドカードでの準決勝進出は、敗者復活戦の出場権がない。だからとにかくストレートでの準決勝進出を願っていた。

ワイルドカードは上がっても出順は一番最初で不利な枠。一度敗退しているというところも加味されてなのか、過去一度もワイルドカードからの決勝進出はなかった。それでも今年の金属バットならば。友保さんのコロナ隔離期間解除のその日に準決勝というドラマをつくった金属バットならば。そう思えずにいられなかった。あまりM-1をドラマティックに見すぎるのは嫌だったけれど、今年ばかりはそんなこと言ってられなかった。

結果は敗退に終わった。先述の通り、ワイルドカード枠は敗者復活戦にも出られないから、この瞬間に金属バットのM-1への挑戦は幕を閉じた。終わってしまったと思った。でも準々決勝で終わるより準決勝で散る金属バットはやっぱりかっこいいと思った。信仰でも崇拝でもないけれど、最後の年はやっぱり感傷的になってしまう。

恥ずかしながら、いわゆる「痛ファン」と呼ばれる人が多くなってきてから、好きな芸人を聞かれたときに金属バットと言うのを避けていた時期があった。金属バットが好きなのに、それを言うことを恥ずかしいと思ってしまうクソみたいな時期があった。彼らはいつも最高なのに、それを私は私の中で欺いてしまっていた。何かのファンになることは、少なからず痛いものなのだ。度が過ぎるのは嫌だけれど、自分の好きに嘘はつきたくない。そう思えたのはやっぱり金属バットがいつまでも金属バットらしかったからだ。彼らはいつも適温で漫才をする。適温でラジオでだべり、インタビューでボケる。関わる人や環境が変わっても彼らの適温は変わらない。「適温に熱い」彼らに心を奪われていた事実は、絶対に嘘にはならない。

M-1の決勝の舞台に上がる金属バットは、もうこの先一生見ることができない。M-1がすべてではないけれど、それを言っていいのは戦ってきた彼らだけだ。それでも、彼らの漫才はこの先も劇場で見られるし、ラジオだってずっとやり続けてくれると思う。だから私はこの先も変わらず適温で、彼らを応援し続けていく。




一旦、これまで本当にお疲れ様でした。これからも適温でかっこいい金属バットでいてください。


(この文章は11月30日、金属バットの準決勝敗退が決まった日の夜中に、酒を飲みながら書いたものを公開するか悩んで下書きに残していたものです。ほぼ殴り書きですがほとんどそのまま載せます。もっと加筆修正しようとも思いましたが、それだとリアルじゃないと思い)


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