ミヨ子さん語録「ひのこ」

  昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。たまに、ミヨ子さんの口癖や、折に触れて思い出す印象的な口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として書いてきた〈228〉。本項でもひとつ取り上げる。

 ここ5日ばかり体調不良のため「文字を持たなかった昭和」はじめミヨ子さんや鹿児島に関連するテーマから遠ざかり、軽い話題を書いてきた。

 3日間ほどはほとんど寝て過ごし、起きられるようになってからも外出は控えた。冷蔵庫のストックも心細くなったのでついに買い物に出たのだが、歩き始めはふらふらしてしまった。その時ミヨ子さんの口調が耳に甦った。
「なご ひのこを みらんかったでね(長ご ひのこを 見らんかったでね)」
「長いこと日の光を見なかった(太陽に当たらなかった)からね」という感じだろうか。

 「ひのこ」とは日光、日差しの意味だ。例文を挙げると
「なご ひのこを 見らんなぁ(長ご ひのこを 見らんなぁ)」
長雨が続きお百姓さんどうしが「長いこと太陽を見てませんねぇ」と挨拶しあう場合。
「ひのこぃ あたらんで ましと しちょいが(ひのこに 当たらんで 真白に しちょいが)」 
家の中でばかり遊んでいるような子に対して「太陽に当たらないから、(肌が)まっ白だね」と言うとき。「子供は外で遊ばないと」というニュアンスが語尾に込められている。

 「ひのこ」という鹿児島弁は愛用の「鹿児島弁ネット辞典」でも取り上げていない。意味からすれば「日の光(こう)」で、「こう」が短縮されて「こ」になったと思われる(ただし月光を「月(つっ)のこ」とは言わない)。

 ただしこの辞典に収録されている鹿児島弁は、鹿児島市内、すなわち鹿児島における都市部の言葉が多いと感じる。農村部でお百姓が使っていた言葉は網羅されていない可能性はある。

 「日」(太陽)をはじめ天候・気象に関する事項は農民にとってきわめて重要だ。だから「ひのこ」自体限られた地域や階層で使われていたのかもしれない。それでも、いやだからこそ、ミヨ子さんたちは日常的に使い、わたしも身近に感じていたのだと思う。

 じつは、子供だったわたしは「ひのこ」を「日の子」だと思い込んでいた。「ひのこ」と言われると、なにかキラキラしたもの日差しに乗って飛んでくるようなイメージがあった。じっさいその「キラキラしたもの」は、太陽のエネルギーを作物や大地、人にむけて運んで来るのだった。

<228>過去の語録には「芋でも何でも」、「ひえ」、「ちんた」、「銭じゃっど」、「空(から)飲み」、「汚れは噛み殺したりしない」、「ぎゅっ、ぎゅっ」、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」、「換えぢょか」がある。

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