文字を持たなかった昭和503 酷使してきた体(15)胆石

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
 
 このところはミヨ子の病歴や体調の変化などについて記している。もともとあまり丈夫でなかったこと、体にあった病気などの痕跡、体にも影響を与えたであろう心配性とそこからくる不眠などに続き、働き盛りを過ぎてから自転車で転倒し右手がうまく使えなくなったこと子宮がんのため子宮を全摘したこと等など。時間が前後するが、もっと若い頃からよく口にしていた不調として、鹿児島で一般的には肩こりを指す「へっが痛か」という状態があったことも述べた。

 1990年代前半、ミヨ子は60代だったが胆石ができたこともあった。お腹が痛むので行きつけのクリニックで診てもらったら胆石ができていることがわかったのだという。大きさは数ミリで、手術するほどではなく、痛みが治まっているようなら様子を見る、という対応だった。当時、小さな町の小さなクリニックの検査で胆石の大きさまでわかるとも思えず、クリニックの紹介でもっと大きい病院に行ったのかもしれない。

 言うまでもなく胆石は、脂肪を分解する胆汁を貯める胆嚢やその周辺の管に結石ができる症状。原因は複数考えられるようだが、油脂の摂りすぎもそのひとつとされる。油脂分の多い食事のあとに痛みが出ることも多いらしい。ミヨ子も、お医者さんから油の摂りすぎに注意するよう言われていた。

 たしかにミヨ子はチョコレートやチョコレート味のお菓子が好きで、洋菓子全般も好んではいた。しかしそういった「好物」を頻繁に食べるような食生活ではなかったし、そもそも好きだからという理由だけでしょっちゅう買えるような生活でもなかった。食生活はむしろ質素で、家で獲れた野菜が中心、油脂分はむしろ足りないぐらいだった。

 胆石の原因として挙げられるものの中で当てはまるのはストレスや運動不足ぐらいで、あとは胆嚢そのものの機能やほかの内臓との関連しか思い浮かばない。

 娘の二三四(わたし)はその頃中国で勤務していたので、北京の老舗の漢方薬店で「胆石通」という薬をまとめ買いして、一時帰国のときにミヨ子に渡したこともあった。体の負担を考えたら手術は避けてほしかったのだ。

 数年が経っただろうか、「胆石通」を買って帰るのも忘れた頃、二三四はミヨ子に胆石はどうなったのかと尋ねた。ミヨ子の答えは
「消えてしまったみたい。検査しても見つからないって」
だった。

 結石の類は自然に消滅したり、知らない間に流れてしまったりすることもあるようだ。それならそれでめでたいことだ。なにより体の負担が少なくてすんだ。「胆石通」ももしかすると効いたのかもしれない。

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