ひとやすみ「祝 500回」

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 新たに、昭和50年代前半新たに取り組んだハウスキュウリについて述べ始めて3回続けた。続きを書くべきところなのだが、noteを始めて今回でちょうど500回なので、ひとやすみ。

 ある時期から毎回冒頭に「昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を……」と書いている。noteを始めた動機は、ミヨ子のような「自分を表現する術も、その発想すら持たなかった周囲の人たちのことを書き残しておきたい、まずは母親のことから」と考え、「文字を持たなかった昭和」と題して始めたからだ。

 エッセー的にわたし自身の身の回りのことや時事ネタ、たまに書評なども書いているので、「文字を持たなかった昭和」は354回、もろもろ入れて500回になった。法事などで止むなく中断した期間もあるので、2022年2月6日の開始からは500日以上が経過している。

 1年目は、ミヨ子の生い立ちから結婚、二人の子供の出産と育児に加え、四季折々の農作業や行事でだいたい終わった。2年目は当時新しく始めた事業を中心に書き続けている。

 ミヨ子を中心に書きたいが、家族など関係する人々や経緯、時代背景について補足していると、ミヨ子主体にならないことも多々ある。難しい。

 そもそも1年もあればミヨ子については書き終わるのでは、と思っていたが、なんのなんの。「補足」事項がどうしても必要なこともあり、「ミヨ子編」はまだまだ続きそうだ。

 一方、読んでくれる方は極めて少数だ。noteではフォロワーや「スキ」の数が人気の目安だろうが、その点ではほぼほぼ誰も気づいていないと言っていい。

 でもわたしにとっては、両親やその上の世代はじめ、子供のころ自分の周りにいた人たちに代わって当時のことを書き残すこと自体が目的なので、昭和、地方とくに鹿児島、庶民層の女性の歴史、そして農業に興味がある人の目に留まればいいのだ。マイペースで、でもPCを操作できる限り続ける。

 他のクリエイターの作品をチェックするほどの余裕はなく、「スキ」してくださった方の作品もチェックしていない(当初はしていたが、切りがないのでやめました)。しかし、ここに立ち止まってくださる方々のことはありがたいと思っている。ついでにここも読んでもらえたら背景がわかりやすいですよ、という内容は文中にリンクを貼ってあるので、よかったら覗いてみてください。

 以上、個人的な500回記念として。

 昨晩深酒して頭が働かないのも、「ハウスキュウリ」の続きを書けない理由です、すみません。


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