文字を持たなかった昭和447 困難な時代(6)TOROYのソックス①

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 あらたに、昭和50年代前半に取り組んだハウスキュウリに失敗し一家が厳しい時代を迎えた頃のことを書いている。前項までに、ミヨ子たちのような専業農家は現金収入が限られる一方で、支出の抑制には限界があること、しかし農村ならではのつきあいから交際費は出ていくことを述べた。いずれも楽しい内容ではなく、この先も楽しい話にはなりそうもないことをお断りしておく。

 家の困窮度合いは、当時高校生だった長女の二三四(わたし)も感じていた。具体的な年間の収支は知る由もなかったが、お金を工面しなければならない場面で、いつも母親のミヨ子が困っているのを日常的に見ていたから。

 ふたりきょうだいの下で一人娘でもある二三四の生い立ちや成長過程でのエピソードについてもいつか書きたいと思うが、おそらくずっと先になるはずなので、ここでは一家が困窮していた時代のエピソードをひとつ述べておきたい。

 二三四が高校に進学した前後の昭和50年代(1970年代中期)、いわゆる「ブランド」が広く世に認知されるようになり、身の回りのちょっとしたものでもブランドのライセンスで製造することで、付加価値がついて価格も一般製品より2割以上高い、ということが当たり前になりつつあった。

 ブランド品のロゴやマークがついた商品はまたたく間に増えた。帽子やシャツ、スラックスやスカート、靴など身に着けるものから、タオルやスリッパなどの日用品にも及んだ。ちょっとマークがついているだけで割高なのだが、どれも品質はいいから、それが「ブランド」というものだろうと庶民は思った。

 ブランド志向は、地方のふつうの高校生にも及んだ。葉巻パイプがトレードマークの「TOROY」というブランドのソックスが、女子の間で流行した。パイプがワンポイントで刺繍されていることを除けば、ふつうの白い靴下だ。白でなければ校則にひっかかったかもしれないが、ちょっと見にはブランドの靴下だとわからないので、生活指導の先生のチェックを免れていた。

 そのTOROYのソックスを、二三四も買った。定額のお小遣いはもらっていなかったので、貯めてあったお年玉を充てたのだと思う。生まれて初めて「流行しているマーク」の高価なソックスを自分で買って、履いて、学校に行く――。そのソックスを履く日、二三四は誇らしいような、秘密にしたいような、妙な高揚感の中にいた。



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