文字を持たなかった昭和427 おしゃれ(23) パーマ屋さん

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これまでは、ミヨ子の生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べてきた。ここらで趣向を変えおしゃれをテーマにすることにして、モンペ姉さんかぶり農作業用帽子などのふだん着に続き、カーディガンブラウス緑のスカートなどよそ行きにしていた服、そして着物浴衣などについても書いた。概ね昭和40年代後半から50年代前半のことだ。

 おしゃれについて語るとき髪も欠かせないだろう、というのでミヨ子のヘアケアヘアスタイルを振り返ってみた。パーマをかけていたことも。

 ミヨ子のパーマといえば、パーマ屋さんにも触れないわけにはいかない。美容院のことは、みんなパーマ屋と呼んでいた。ミヨ子の行きつけは、隣のK市にあるエビス美容室だった。

 ちょっとした用事――近所では手に入らないものを買うとか、病院に行くとか――は、温泉で有名な隣り町に行くことが多かった。バスでもこちらのほうが近いという理由もあっただろう。しかし、美容院だけは逆方向の、住んでいる町(自治体)の北側にある、周辺地域でも大きなこのK市へ向かった。もちろんバスで行く。

 理由は「同級生が開いた店だから」。いつの同級生なのか、二三四(わたし)は確認したことがない。尋常小学校が国民学校に名称を変えた戦時中〈188〉に子供時代を過ごしたミヨ子は、国民学校の高等科(中学校に相当)を出るとすぐ働いたから、国民学校時代の友達なのだと勝手に思っていた。小さな町のこと、子供たちは小学校から上の学校まで顔ぶれが変わらなかった。

 パーマをかけるのは、年に1回、多くて2回ぐらい。例えば結婚式とか、婦人会の年1回のバス旅行といった「ここぞ」という用事の前に限られた。お正月が来るから、という理由は聞いたことがない。大事な用事が近づくと「パーマ屋にも行かないと…」とミヨ子はつぶやいた。

 パーマ屋に行く日が決まるとミヨ子はエビス美容室に予約し
「〇日はエビスに行くから」
と二三四に宣言した。ほかの家族には、もう少し遠慮がちに伝えた。

 電話で予約するのは電話が家に引かれてからだが、それ以前、二三四がもっと小さかった頃はどうしていたのだろう? 本項を書くまで考えたこともなかったが。

 パーマをかけるには時間がかかる。バスでの移動時間、「せっかくKまで行くのだから」と帰る前にちょっと買物をする時間も含めると、早めの昼ごはんを食べてから出て行っても帰りは夕方になった(昼ごはんまで外で食べる選択肢は、ミヨ子にはなかったと思う)。

 夕方、いい匂いをさせながら帰ってきたミヨ子のヘアスタイルは、いまふうに言うと「ばっちりキマって」いた。ウェーブがかかりふんわり整えられた髪は、整髪スプレーがまんべんなく吹き付けられ、ちょっとゴワゴワしてもいた。美容院に行くため少しお化粧もしていたから、「かあちゃん」は別人のようにきれいだった。

 その髪型をできるだけ崩さないようにして大事な用事の日を迎えるのだから、パーマをかけるのは用事の前日か前々日だった、ということになるだろう。

〈188〉戦時中の学制については、自分なりに調べたことを「十六(義務教育)」に書きとめてみた。

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