文字を持たなかった昭和 番外 猫まんま(前編)

 前の晩の煮魚の残りを温めたあと、煮汁ごとご飯にかけて――つまり猫まんま状態にして――食べていてふいに思い出した。

 わたしの実家のすぐ上に住んでいた一家の、3人いた子供のいちばん下、由美子ちゃんのことだ。田畑を囲むように家々が散らばる小さな集落の、ゆるやかな傾斜地の途中に実家はあり、細い坂の両側に同族の家々が建っていた。由美子ちゃんもわたしと同じ名字だった。

 由美子ちゃんはわたしより二つ上で、わたしの兄とは同い年だが、兄が早生まれのため学年はひとつ下だ。家からいちばん近いところに住む女の子だったのでよく行き来はしていたが、子供の頃の2歳差は大きい。由美子ちゃんといつも遊んでいたというほどでもない。

 その由美子ちゃんもまだ小さかった頃、と言ってもわたしが記憶をたどれる時期だから、由美子ちゃんが5歳、わたしは3歳くらいだっただろうか。とても強烈な思い出がある。猫まんまを前にして、そのときの「映像」が甦ってきたのだ。

 昔――50年以上も前――の農村の、まして縁戚関係者が多い集落のこととて、互いの生活は筒抜けだった。当時の農家の常として、家の中と外の境界はあいまいで、土間と庭は屋根があるかないかの違いぐらいでしかなかったし、庭や木戸口もまた屋根のない生活空間と言えた。いまなら家の中でしかしないようなことを、庭先やよそのお宅の木戸口、集落の道路ですることもままあった。

 その日、由美子ちゃんはご飯を食べていた。上述した細い坂が折れ曲がるあたりで、由美子ちゃんの家の木戸口でも庭先でもない。むしろよそのお宅の木戸口に近かった。わたしもなぜそこにいたのか思いだ出せないが、おおかた母か祖母といっしょに通りがかったのだろう。そこでは、立ったまんまの由美子ちゃんの口元に、由美子ちゃんのお母さんがしゃがんで、お茶碗からごはんを運んでいた。

「由美子、『ぶ』じゃが、食(た)もれ」
 お母さんが持つ茶碗には、煮魚の身が載せられていた。それをほぐしてご飯と混ぜて、由美子ちゃんに一口ずつ食べさせていたのだ。お母さんの鹿児島弁は
「由美子、お魚だよ、ほらお食べ」
ぐらいの感じだろうか。

 由美子ちゃんより二つ年下のわたしは、その光景を興味深く見つめていた(だから覚えているのだと思う)。興味のひとつは、煮魚をご飯と混ぜて食べていること、もうひとつは自分より大きな由美子ちゃんが、赤ちゃんのご飯のようなものを食べていることだった。外でご飯を食べていることへの違和感は、その時はなかった。

 由美子ちゃんは二人のお兄さんと年が離れていた。集落のほかの農家同様――もちろんわが家も――裕福とは言えなかったが、家で唯一の小さな女の子は可愛がられていただろう。外でご飯を食べていたのも、由美子ちゃんがご飯どきにぐずって外に出てしまったのを、お母さんが箸とお茶碗を持って追いかけて来たためかもしれない。
後編へ続く)


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