最近のミヨ子さん(計算ができない)

 昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。たまに、メモ代わりにミヨ子さんの近況も書く。前々項(通話の中断)前項(地元のことば)では、最近ミヨ子さんと交わしたビデオ通話の際の様子を述べた。

 当日はビデオ通話の前にミヨ子さんと同居する義姉と話したが「(noteを始めた)つい2年前に比べても、ミヨ子さんの認知機能の低下は顕著だ」と感じた(白い靄の中)。この日ミヨ子さんは、声はいつものように元気だったが、反応はいまひとつしっくりこないというか、心ここにあらずというか、会話が会話として成立している感じに欠ける印象が否めなかった。

 唐突に
「70(歳)くらいまでのことはよくわかっているんだけど、それからあとはうまく計算できない」
と言う。計算、勘定を鹿児島弁で「さんにょ」と言い、地域によってはさらに訛って「さんじょ」を言う。ミヨ子さんは「よかふに さんじょがでけん(うまく計算ができない)」と言ったのだ。
「さんじょ(計算)?」とわたしは訝しむ。
「70くらいから、急に年をとったような気がする」
とミヨ子さん。

 最近の記憶が手繰れない、ということだろうか。今の住まいである息子の家にも、どういう経緯で同居が始まったのか、思い出せないのかもしれない。そんな状態に陥ったら、どんなに不安だろう――。胸が詰まる。

 わたしは話題を変えて「ごはんはおいしいんでしょ」と振る。ミヨ子さんは「ご飯はね、おいしいのよ。(ご飯の時間が)いつも待ちきれない気分」と笑った。

 そろそろ通話を終わろう。わたしは「できるだけ体も動かしてね。元気でいてね」と語りかける。すると急に
「散歩に出たら、転んで溝にはまっちゃって。痛かったわよー。昨日だったか、一昨日だったか」
と訴えた。散歩中に溝に落ちたのはもう何年も前で、それ以来兄家族も気をつけているし、ここ数年ミヨ子さんは一人で外歩きはしていない。おそらくその時の印象が強烈で、繰り返し思い出しているのだろう。そしてその記憶はより強化され、つい最近のことのようによみがえってくるのだろう。

 わたしはどう答えていいか迷う。かろうじて「歩くときは気をつけてね、ちゃんと杖を持ってね」と言い、「じゃあまた話そうね」と手を振りながらスマホの通話をオフにした。

 これまでもミヨ子さんと会ったり、通話したりするたびに感じたことだが――お母さんがだんだん遠くなる。こう言えばこう答えるだろう、という定石みたいなものがあやふやになっているせいもあるが、なんだか遠くの宇宙から言葉(概念)がやってくる感じ、と言えばいいのだろうか。

 でも、ミヨ子さんのほうこそ、知らない世界に一人で放り出されたようで不安なのかもしれない。わたし(たち)はできるだけそれをまるごと受け止めるしかない。――のだろう、たぶん。

《参考》
【公式】鹿児島弁ネット辞典(鹿児島弁辞典)>さんにょ

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