番外(人生100年)

 昭和の話からまったく離れて、ふだん思っていることを。

 「人生100年時代」と言われるようになって久しく、老後を含む人生計画、人生設計は100歳まで生きることを前提に考えなければならない雰囲気になってきた。

 でも皆さんは、百歳まで生きられる自信がありますか?

 わたしは、ありません。

 わたしは虚弱なほうではなく、いまのところ生活習慣病のような慢性的な疾病はないが、お酒は相当飲んできたので、いずれ何か見つかるかもしれない。

 一方整形外科には定期的に通っている。若い頃、というよりもっと前から――農作業の手伝いという意味では子供の頃からかもしれない――の重労働の蓄積が骨に来ているようで、数年前からあちこち不調が始まったので。
 
 わたしの人生は75年歳くらい、状況によっては70年かもしれない、と思っている。75歳というのは、この先ゆっくりと、だが確実に自由を失っていくであろう身体と向き合いながら、まだ自分の意思で何かできるか考えたら、そのぐらいではないか、と思ったからだ(余命あと10~15年だ)。

 身体のコンディションとは別に、何かのアクシデントで「突然」という可能性は(誰にでも)あり得る。20代、30代の頃から、同年代の友人や同僚が突然の事故で他界する場面にも遭遇してきた。だから、いつでも何でも起こり得るだろうという覚悟は心のどこかに置いている。

 これまでの人生で、けっこう好きなことをやってきた(その分周囲にはいろんな迷惑もかけてきた)という実感もある。だから、なおのこと、いつ人生が終わっても構わないと思う。

 noteに母をはじめとする上の世代について書いておこうと思った動機のひとつに、この問題がある。記憶が確かで頭がまともなうちに、できるだけ書いておきたかったのだ。

 もちろん、寿命は神様にしかわからない。明日にも何か起きるかもしれないし、意外としぶとく生き続け、noteも延々と書き続けるかもしれない。

 noteを続けるうえで触れておきたかったので書きました。独り言のようなものです。

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