最近のミヨ子さん(お茶でも淹れて差し上げなさい)



 前項(弁当を持っていきなさい)の続き。

 ミヨ子さんと同居するお嫁さん(義姉)とわたしはスマホのビデオ通話で少し雑談していたが、続いてミヨ子さんの前にスマホが置かれた(ようだ)。画面に映るミヨ子さんはかわいらしい紫色のニットを着ている。表情は前回(先月)とさほど変わりがないように見える。表情の変化が大きくないのは表情筋が活発に動かないからだろうか。話す言葉も少しもたついてて、年配の方特有だなぁと感じる。どちらも、94歳(正確には95歳)相応というより、その年では十分すぎるほどしっかりしていると言える。

 ミヨ子さんは自分の顔が映ったスマホの画面を見て、「白髪だらけだねぇ」と呟いている。まあ……95歳だからね。でもいくつになっても見た目は気になるのだろう。

 最近の状況を聞いてみるが「どう、と言われてもねぇ」とはっきりしない。「こちらは元気だよ」と振ってみると、わたしのツレのことを訊かれた。

 「元気だよ。いま家で仕事してる」と返す。コロナ禍でテレワークが導入され、いまも半分くらいは在宅だ。この「家で仕事」についてはこれまでも何回か説明しているのだが、ミヨ子さんにはいまひとつピンと来ないようだ。「(会社員の)仕事=会社でするもの」というイメージから逃れられないのだと思う。「ケータイでお母さんと話すみたいに、家と会社もつながっているんだよ」と説明するが、納得しきれない表情をしている。

 と、ミヨ子さんは唐突に
「家ぃおいやっとなら、お茶どん淹れてあげやんせ」(家にいらっしゃるのなら、お茶でも淹れて差し上げなさい)

 古い世代の鹿児島弁話者の習慣として、娘のツレにも敬語を使うのは当然なのだが、お茶を淹れてあげろ、と言われるとは思ってもみなかったので一瞬絶句する。わたしの口から出てきた言葉は
「考えてみるよ」
………。

 ウチでは何か飲みたければ自分で用意する。いまどきの多くの家庭は同じではなかろうか。

 でもミヨ子さんの頭の中では、前項のお弁当同様、夫(や家族)にお茶の支度をすることは優先すべき家事だったのだろう。おそらく食事の支度の次くらいに。もとより、農業を生業としていれば、三度の食事をしっかり食べても、間に休憩を取るのは重要なことだった。朝食、午前中のお茶、昼食、午後のお茶、夕食――というサイクルは、ミヨ子さんの体にも脳にも深く刻み込まれているのだ。夫への気遣い(遠慮ともいう)とともに。

 認知機能が低下してきてからのミヨ子さんと話すときは、時空を行き来しなければならない感じがある。話していることは、「いま」なのか「いつ」なのか、昔のことならいつ頃のことなのか。考えながら、しかし考えていることを極力顔に出さずに、できるだけなめらかに相手をしてあげる。

 深く考えるとつらいことでもあるが、目(画面)の前にミヨ子さんがいてくれるだけでありがたいとも思う。だから必ず「また話そうね、元気でね」と締めくくる。これ以上何を望めるだろう。

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