文字を持たなかった昭和 二百六十二(冬の衣服)

 昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の冬の暮らしについて続ける。

 前項(冬の肌荒れ)でも書いたが、東シナ海に面した薩摩半島の小さな町は、南国とは言え寒い日が多い。昔づくりの家屋で暖房器具もほとんどなかった。そんな暮しで、冬にミヨ子たち農家の女性がどんなものを着ていたか思い出してみたが、あまり浮かんでこない。

 下着は「ネル」〈139〉の厚手のものを、場合によっては2枚重ねて着ていた。その上に作業用のブラウスやシャツを着る。「外側」は、普通に農作業や家事をする以上、取り立てて特別冬向きのものを着てはいなかった。せいぜい薄手のセーターを着こむくらいか。いちばん外には割烹着のような作業着を着た。

 いわゆるボトム――当時はそんな言い方はなかったが――は一年中モンペで、冬場はやはり「ネル」のズボン下を履いたり、うんと寒い時は毛糸のパンツを追加したりしていた。

 少し時代が下ると、生地に化繊の薄い中綿が入ったキルティング生地のモンペも売られるようになったが、もこもこして動きづらそうで、どちらかというとおばあさんたちが部屋着に使っている姿が多かった。

 いまは、繊維自身が発熱する(らしい)薄手のインナーなど、便利な衣類が開発された。アウターも薄くて軽く、かつ手頃な価格のものが増えた。それこそ選り取り見取りだ。そんなインナーやアウターを、90歳を超えたミヨ子にプレゼントしても、喜びはするが、積極的に着ようとはしない。

 いわく「下着は綿がいい」「何枚も重ねてないと落ち着かない」らしい。せっかくの最先端のものを使いこなせないとも言えるが、人の習慣はそれほど変えられないことは、娘の二三四(わたし)もだんだんと身に染みてわかってきた。母には自分の習慣や好みを大事にしながら長生きしてほしいと願う。 

〈139〉ネル:綿フランネルの略称。甘撚りの横糸を打ち込み平織や綾織にして起毛した布生地。肌触りが柔らかく暖かで、バジャマ・ベビー衣料・シャツなどに使われる。毛織物である本来のフランネルとは別物。
《参考》| 布生地Q&A (kijiya.me)

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