最近のミヨ子さん(弁当を持っていきなさい)

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸に庶民の暮らしぶりを綴ってきた――今月からはミヨ子さんの舅・吉太郎(祖父)の話に進めつつあるが――。たまに、ミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。

 娘としては、認知機能が低下してきたミヨ子さんによい刺激を与えられないかと、絵ハガキを出したりLINEを利用したビデオ通話を試みたりしている。通話は、ミヨ子さんと同居しているお嫁さん(義姉)のスマホ経由で、最近は月1回ペースだ。

 先日も事前にお願いしておき着信を鳴らした。当然だがお嫁さんが出て、しばらく雑談する。最近のミヨ子さんの様子を聞くと「今朝もね」とこんなエピソードを語ってくれた。

 ミヨ子さんは時間の感覚が鈍くなっていて、朝とても早く目が覚めることがある。いつもは8時頃まで寝ているのだが、その日はちょうど息子のカズアキさん(兄)と同じ5時半頃に起き出した。そして
「仕事に出るなら弁当を持っていかないとね」
と言った。カズアキさんはつい、
「弁当は用意してあるんだから。母ちゃんが作るわけじゃないでしょ(だから黙ってて)」
と返した――。

 お嫁さんとは
「(昔)お父さんが仕事に出てた頃、毎日お弁当を持たせてたでしょ。その頃のこととごっちゃになってるのよ」
「そうだろうか」
「そうに決まってるわよ」
という会話があったと言う。

 なるほどなぁ、とわたしは思う。

 ミヨ子さんは四六時中と言っていいほど、周りの人のことを考えて生きてきた。家族に対してももちろんそうで、中でも夫である二夫さん(つぎお。父)は最優先だった。悪い言い方をすれば、常に夫の顔色を窺う生き方だったかもしれない。

 そんな生活はいまの人(女性)には耐えられないだろう。しかし、DVの被害女性(まれに男性も)などの話を聞くと、同居中は常に相手の顔色を窺っていたという。「夫の顔色ばかり窺うなんて、いまはそんなことはない」と一概には言えないのではないか。

 ある意味においては、ミヨ子さんは夫に精神的に(そして経済的にも)支配されていたのかもしれない。けれどもそれは、家庭ひいては地域の共同体を円滑に運営するための知恵でもあったし、そこでの役割でもあった。いまの感覚で、「古い」「男女差別だ」と簡単には決めつけられないだろう。何よりわたし(子供)たちは、その環境の中で家庭らしい慈愛を受けて成長できたことは事実である。それはミヨ子さんのいくばくかの、あるいは多大な犠牲の上に成り立っていたのだが。

 ともあれ、夫(家族)の食事の支度は、ミヨ子さんにとっては何よりも優先すべきことだった。そんな生活を何十年も続けてきて、その行為と意識は強く深く脳に刻まれている。いま年をとった息子が夫と重なる瞬間があって、記憶の中の「弁当」が紐づいて引っ張り出されたのだろう。そこに理屈はない。

 周囲ができることは、ミヨ子さんのこれまでと目の前の状態を繋ぎ合わせて、本人が傷ついたりしないように対応してあげることだろう。ひらたく言うと「話を合わせてあげる」。

 でもそれはなかなか難しい。ことに毎日のこととなると。そして、こと自分の親に対しては。ミヨ子さんの近況と、カズアキさんの対応を聞かされる度に、なんだか切なくなる。

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