最近のミヨ子さん(息子の苦悩)

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまに、ミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。

 近況は、ビデオ通話で知ることもあれば、ミヨ子さんが同居する義姉からのメッセージで知らされることもある。たまにミヨ子さんの長男カズアキさん(兄)からも。直近の「近況」はそのカズアキさんからもたらされた。

 と言っても愚痴である。鹿児島弁混じりのうえ誤入力らしきものが含まれる短いメッセージから読み解くに、認知機能の低下が進んでいるミヨ子さんが義姉を「あの人」と呼んだらしい。「あの」だから義姉がいる場ではないだろう。義姉が台所などで立ち働く様子を見ながら、そう呼んだのだろうか。

 おそらくカズアキさんは即座に、「『あの人』などではなくて、嫁さんでしょう」と指摘したはずで、「どんなに世話になっているかを説明したが、いくら話しても理解できない」とあった。そして「オレも立場上説明しないといけないが、つらい」と。

 以上が、短く読みづらいメッセージの一部と、推測した内容である。

 ミヨ子さんの頭の中では、現実と過去、そして想像が交差していると思われる。いっしょに暮していて見慣れた顔でも、ふいに誰かわからなくなることもあるだろう。自分の子供ですらいずれわからなくなるはずだ、とわたしは覚悟している。それが認知機能の低下というものだろうと。そういう過程を含む現実の中で、本人がいかに安らかに楽しく過ごせるかが、究極の課題だろうと思う。

 と冷静に分析(?)できるのも離れて暮らしているからで、いっしょに住んでいて、しかもほとんどのお世話を引き受けてくれている自分の妻を「あの人」呼ばわりされたら、落胆もするし理詰めで説明したくもなるだろう。怒鳴ったり手を上げないだけ、まだましかもしれない。同居してくれているだけでも義姉は超人的で、ほんとうにありがたいことだとわたしも常に思っている。カズアキさんが義姉への感謝の裏返しで、ミヨ子さんを責めたくなる気持ちも、理解できる。

 ただ、老化や認知症についてもう少し情報を得て、いろんな実例を知れば、ミヨ子さんが特殊なわけでも、悪気があるわけでもないこと、どんなに「説明」しても相手は理解できないし、できたとしても永続性はない、つまり(残念ながら)「無駄」だということもわかるのに。それより、もっと別のところにフォーカスするほうが、ミヨ子さんにとっても、自分を含む周囲にとっても楽で幸せなことなのに。

 などなど、言いたいことはいろいろあるが、それを表現するのは難しい。なにより、メッセージの最後に「返信はいらない」とあった。

 つまりは、愚痴りたいだけ、だったのかもしれない。それを渡すだけ渡されて、返す手段を与えてもらえないこっちはこっちで辛いものがあるが、渡す相手がいるだけましとも言える。二人きりのきょうだいだから、受け止めましょう。

 思えばミヨ子さんはわれわれが小さい頃から「二人しかいないきょうだいだから、仲良くしないとね*」と言い続けてきた。仲良くすることの意味は、こんなときのためにあるのかも。お母さん、言いつけを守りますよ、これからもずっと。

*鹿児島弁:ふたい(ふたり)しかおらん きょで(きょうだい)じゃっで、なかゆせんとよ。
――このセリフをミヨ子さんの声で思い出すと泣けてきそうだ。

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