文字を持たなかった昭和425 おしゃれ(21) ヘアケア

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これまでは、ミヨ子の生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べてきた。ここらで趣向を変えおしゃれをテーマにすることにして、モンペ姉さんかぶり農作業用帽子などのふだん着に続き、「チョッキ」カーディガンブラウス緑のスカートなどよそ行きにしていた服、そして着物浴衣などについても書いた。概ね昭和40年代後半から50年代前半のことだ。

 おしゃれについて語るとき、髪のお手入れやヘアスタイルも欠かせないだろう。本項ではミヨ子のヘアケアについて。

 ヘアケアと言っても、当時はいまほど髪を洗わなかった。――と書くと、いまの若い人(!)は信じられないだろう。だが、二三四(わたし)と同世代、概ね昭和30年代から40年代初め生まれの、とくに地方出身の人にこの話題を振ると、だいたい同じような体験を語る。つまり、髪を毎日洗う習慣はなく、週に何回かだった、というもの。

 そもそも、お風呂でさえ毎日入るとは限らなかった。都市部はともかく農村部では、風呂は薪で炊くもの。水道を引いていなければ水を張るのもひと仕事だし、沸かすのはもっと時間がかかる。薪もたくさん要る。

 ミヨ子が――ミヨ子といっしょに風呂に入る二三四も――髪を洗うのも風呂を沸かしたとき。翌日に大事な用事を控え、どうしても洗髪しておきたいときは、大きな羽釜を簡易竈に掛けてお湯を沸かすこともあった。

 「シャンプー」という名前の洗髪料が近所の小売店でも手に入るようになったのは、昭和30年代だったのだろうか。ピンク色のとろりとした液体は化粧品のようないい匂いがして、泡がたくさん立った。そのせいなのか、洗ったあとの髪は脂分が抜けたようにギシギシときしんだ。

 シャンプーを使ったあとのきしみを防ぐための方法を、新聞や雑誌の家庭欄で見かけることもあった。いわく、シャンプーはアルカリ性なので、中和のためには酸性の液をつければいい。お酢を垂らしたお湯で髪をすすぐといい、云々。せっかくいい匂いがついた髪を酢で洗う? ミヨ子は気乗りしなかった。

 洗髪後はタオルで髪を拭いておしまいだ。ドライヤーはまだ普及しておらず、一般家庭でふつうに使うようになってからも、ミヨ子はドライヤーを使うことはなかった。濡れて生乾きの髪に、たまに行く美容院でもらったヘアクリームを少しつけることはあった。

 やがて「リンス」が普及するとリンスも使うようになったが、ミヨ子の髪の手入れの基本はあまり変らなかった。シンプルといえばシンプル、工夫がないといえばそうかもしれない。だが、農作業でくたくたになる毎日、髪の手入れなどに手も時間も、そしてお金もかけられなかった、というのが実際のところだろう。


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