見出し画像

鉄輪温泉との出会い

三月半ばに、別府市鉄輪温泉に引っ越しました。

鉄輪温泉に何故住むことになったか、
いつも皆さんが聞いてくださる質問です。

「温泉が♨️好きなこと」
特にすじ湯、蒸し湯など鉄輪温泉七湯

「路上に湯けむり吹き出す温かい街」
湯けむりが道からも上がって、その風景にそれだけで癒されること。

『柳屋』さんや『冨士屋』さんを始めとする昔からの建物をうまくリニューアルしているセンスの良さ

「食材の豊富さと、地獄蒸し」などなどが最初に来た鉄輪温泉の魅力でした。

初めて鉄輪温泉にきたのは、5年前の11月。
出口治明さんが、立命館アジア太平洋大学の学長になられた年の秋のことでした。

突然、出口さんからメッセージいただき「おかみ、お客様と別府に来ませんか」から始まります。

出口さんとのご縁は、ライフネット生命CEOでいらした時、お客様のKさんのご紹介で『おかみ丼々和田』で『出口治明さんを囲む会』にお招きしたことがきっかけです。

その時のご縁が始まりで、毎年の『中国歴史紀行おかみ丼々和田大人の探究の旅』に発展したことは、以前ブログに書きましたので、こちらをご覧くださいませ。

そんな毎年の中国旅行を経て、お客様としても、ふらっとおひとりで「会食がなくなったから」や「異業種交流会」みたいなのを開いてくださったり、何度もおかみの店をご利用くださいました。

最後に来てくださったのは、まだ倒れられる一年前くらいだったでしょうか?2020年1月のことでした。

「僕もおかみも60で起業、70で学長に思いがけずなりましたから、そろそろ次のことをしたらどうですか?」なんてあれは冗談だったのかもしれませんが。この前、出口さんにお会いした時、そのことをお伝えしたら、にこにこ笑っておられました。

2020年、コロナ禍では、予定していた中国旅行は中止、飲食店は苦境にたち、通販、お弁当、そして応援チケットなどのお客様からの多大な支援をいただき、なんとか店を続けることができました。皆さんの支援につきましては、また、別途書きますが、これまでの人生でいちばん根本からひっくり返されるほどの感激の出来事でした。

2021年1月出口さんが倒れられだという知らせを受け、心配しつつ、元副学長の今村さんと予定を合わせてもらって、2021年5月に再び、別府市鉄輪温泉の『柳屋』さんにお伺いすることになり、女将の橋本栄子さん、冨士屋の安波治子さんとのご縁をいただき、また、お客様のMさんが、同じ時期に鉄輪温泉とのご縁が生まれた偶然もありました。

5月にもう一度、鉄輪温泉と由布院にも行き、由布院の立役者、亀の井別荘の中谷健太郎さんにお会いできたのも、大きく心が動いた理由です。


そんなこんなで、6月にはアパートを借りてしまい、築地と鉄輪温泉を行き来し、ほんとにここで住めるかを自分で何度も確認しました。

いろいろありましたが、結果としては、流れが大きく動き、次の3月末には、店を閉めることを決めましたが、なかなか皆さんにはお伝えできず、

三銃士を含むお客様と鉄輪温泉や由布院や京都やら、思い出の街を旅して、12月に栄子さんと、治子さんが、築地に迎えに来てくれることで、覚悟が決まりました。

そして、引っ越してからも、鉄輪温泉にも、力強いたくさんの応援団が次々と来てくれて、


なんと世話のかかる、でも幸せなおかみなんでしょう。
心が決まるまで、たくさんのお客様に助けていただいています。


そして、この5月にやっと復帰された、出口さんにもお会いできました。

迷っていたおかみも、お手紙を書き、気持ちを整理して、復帰し、日々頑張っておられる出口さんにお会いして、心を決めました。

おかみ丼々和田に続く、新しいコミュニティ作りができる場所を作りたいと考えています。

おかみがいる下宿屋?民宿?ワーケーションの場所、大切なこれまでのお客様はじめ、サードステージを求めるお客様のための『庵』『あえり庵』
お帰りなさいと心からお迎えできる場所、新しいご縁や何かが生まれる場所。温かいおもてなし。
22世紀に残せるかたち。食を囲み、
「旅するように暮らす」提案ができる場所

せっかく鉄輪温泉に来られたお客様を温泉やさまざまな出会いをご用意したいです。全く具体的ではありませんが、

また、引き続き詰めて参ります。振り返りつつ、ご報告させてください。とりあえず今回は宣言まで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?