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最近めっきり欲が無くなってしまった。
「どうしたい?」という起点は生きる上でとても大事と聞くけれど、
今の自分は、何を欲しているのかがよく分からなくなっている。

キラキラとした夢やささやかな何かはおろか、
とりわけ印象的なことは、長年の供?であった
「悩みたい」「苦しみたい」まで無くなってしまったことだ。
もちろん渦中は、悩みたいとも苦しみたいとも微塵も思っていないが、
今思うと、その時々の私は、それによって色濃く生かされていたことが分かる。
「~(し)たい」という欲求を生きることは、
それがポジティブな欲求だろうがネガティブな欲求だろうが、
そこにのったエネルギーは、色んな意味で人生(ドラマ)を創造する
大きな力があることを実感する。

今も時々、目の前に起こってくるネガティブなドラマに気を取られて
しばしの間、そのドラマを味わうこともあるけれど、
以前のような持続性がなくなり、
そのことについて考えようとしても、感じようとしても、
しばらくすると外にはじかれていて、入れないような不思議が起こる。
そして、いつの間にかそのドラマは移り変わっている。
何かが変わったわけでも、誰かが変わったわけでもないのに、
その時に感じたネガティブ性は過ぎ去っている。
そういうことが頻繁に起こるようになり、
とうとう悩むことも苦しむことからも放り出されてしまった。

渇望するようにずっと願っていた境地のはずだけれど、
どこか寂しい。
何でもいいから純粋に欲をもちたい。欲を感じたい。
そんなことを思うときもある。

だけれど、そのような私を通して、宇宙は優しく日々様々なことを体現してくれる。
一日たりとも同じ日はなく、
意識を向ければ、膨大な何かに常に触れながら生きている。
自分の欲などというちっぽけなものを通さずとも、
こうして飽きることなくこの生を謳歌できるのだとしたら、
無限に注がれるその恩恵に感謝しかない。











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