Miyuki

日々の暮らしの中に、ささやかな美を感じて生きる幸せ。 齢55のこれまでの人生もゆるゆる…

Miyuki

日々の暮らしの中に、ささやかな美を感じて生きる幸せ。 齢55のこれまでの人生もゆるゆると振り返り、その時々に出てくることを書いていこうと思います。

最近の記事

自然の恵み

今年の春も、山の恵みを沢山頂いた。 この辺りはイタドリも料理して食べる習慣がぽつぽつとあり、 私はとても好きで、毎年美味しく頂いている。 採ってきたイタドリの皮を剥き、 アク抜きをして塩漬けに。 そして料理するときには一晩水にさらして、塩抜きをすると、 歯ごたえは残りながらも、イタドリの独特の酸味やえぐみがなくなり、 調味料が美味しく馴染むんですよね。 私は、ごま油でさっと炒め、お酒やみりん、だし醤油で味付けをし、 かつおぶしやゴマ塩をまぶすのが定番。 頂いたふきは、あ

    • 剣山へ

      最近、折に触れて山歩きをしている。 先日は、ずいぶん前から登ってみたかった剣山に! リフトで一気に山頂まで2㎞弱の地点へ。 春山の景色を、リフトからゆっくり眺めながら身体が運ばれるのは、快適! リフトを降りると、早速登山開始。 一礼し、名前を告げ、入山させて頂けることに感謝をお伝えして… すでに山頂近くだからか、高木はあまりなくて一面のクマザサ。 空もとても近い... 大剣神社に参拝させて頂いた。 彩雲がすっと顕れてきたけれど、あっという間に消えていく... お社の

      • 山登り再び

        このところ、歩くことが気持ちよくて、 日々日々、近所を散歩する習慣が続いている。 そのうえ、山歩きするのも楽しくなり。 先日もまた、相方さんの馴染みの山の一つを案内してもらった。 近道と巻道があるけれど、 どっちでもいいよと言われると、 なぜか近道を選びたくなる不思議。 確かに近道の方が険しいんだけれど、 巻道も楽ではないわけで…。 なんとなく楽ではない道をダラダラと行くよりは、 きっぱりと険しい道です!と主張ある道を行く方が、 気が張るんですよね。 一挙手一投足に

        • 慈悲

          何度か坐禅をさせて頂いている禅宗の寺で、 以前、印象深いお話を聴かせて頂いたことがある。 それは、「大悲心陀羅尼経」(だいひしんだらにきょう)という経典の話で、 大悲心とは、「慈悲」という意味なのだと教えて頂いたことだ。 お坊さんは 「なぜ慈悲が大きい悲しみの心なのでしょう」と投げかけられた後、 次のように教えてくださいました。 「慈悲の『慈』という字。 この字は、草かんむりが大樹をあらわし、 その大樹から二本の糸が垂れて、悲しみの心を掬い上げるという意味なのですよ。」と

        自然の恵み

          相方さんとの出会い

          私は、13年前に元パートナーと離婚。 離婚に至るまでには、一言では言い尽くせない色々なものがあるけれど、 そんな色々に、あるとき強制終了のような凄まじい流れがやって来て、 その流れに身も心も大きく翻弄されながら、それぞれの道を歩む準備が調った。今は、彼と共有した全てに感謝しかない。 その日は、2011年8月31日の暑い夏の日だったけれど、 全てが終わって見上げた空の青さは忘れられない。 その空は時空を超え、今の空にも、どの空にも繋がっていたことを あの時には知る由もなかった

          相方さんとの出会い

          Walk in Beauty

          美しい波動は一瞬で 心内のあらゆるものを清め 一掃し 彩を与えてくれる。 そんな美が そこここにある。 その時々 折々 美しい変幻を纏いながら。 ただ気づくだけでいいということに気づくとき 生かされていることが苦行ではなく 生かされていることが恩恵となる。 美の中に身を置くと 委ねの本質の裾野に ほんの僅か 触れられたような気持ちになる。

          Walk in Beauty

          山登り

          先日、相方さんの自宅近くの山に 散歩がてら登ってみようということになった。 相方さんが言うには、 なだらかな山道をゆっくり歩いて20分足らずで頂上に着くから、 山登りではなく散歩だと言う。 確かにそうかもしれないけれど、山は山だし… そうだ!数年前に買ったきり、一度も使っていないノルディックを持っていこう! それに、これまた一度も履いたことのない、数年前に買ったきりの登山靴も履いてみよう! と、意気揚々?と出かけた。 頂上には、相方さんの言うとおり、あっという間に着いた。

          山登り

          感謝詣り

          いつの頃からか、 月の始め頃に、氏神様にお詣りさせて頂いている。 神社の境内は、一歩足を踏み入れると独特の清廉観が漂い、 すっと背筋が伸びるような心もちになるものだけれど、 それに加えて月に一度、 折々の季節の変化や、その時々の美しさに触れられることは、 毎回、心身に優しく滋養が与えられるような恩恵を感じている。 とりわけ、4月のお詣りは春の華やぎがそこここに溢れていて美しい。 この日はそうだ!歩いて行こう!と、初めての試み。 自宅からは2㎞ほど。往復4㎞ほどだとしたら

          感謝詣り

          何気ない日常の中でふと気がつく変化

          先日、春の陽気に誘われて出かけた先で、 一面の菜の花畑の中に、つくしが沢山! そういえば、昨年もちょうどこの頃、 やはりちょうど同じ場所で、つくしを見つけ、 大興奮で摘んで帰ったことを思い出した。 そうそう確か、社会人となり県外に就職する娘を飛行場に送り、 その足で出かけたんだったと、どんどん思い出してくる。 娘にとっても、私にとっても、 新しい世界が目の前に一気に開けたような気持ちになり、 まだ慣れないその世界の中で、夢中でつくしを摘んだのだった。 見渡す限り無限に

          何気ない日常の中でふと気がつく変化

          突然のお試しのその後

          先日、30年以上通っている眼科に、 いつものようにコンタクトを処方してもらいに行ったら、 視神経低形成とか緑内障の疑いとか 寝耳に水のような、冷や水を浴びせられたような驚きがあり! 後日、これまた20年来のかかりつけの漢方内科医を訪れたときに、その話をしてみた。 先生は、いつものように身体の氣の流れを独特の方法で確認されながら、 ふんふんと話を聞き、 「まぁね、疑いでしょ? 高血圧の疑いがあるから、将来的に血圧を下げる薬を服用するように『なるかも』と言われたのと同じような感

          突然のお試しのその後

          母の日記

          つい最近、探し物があって倉庫の中であれこれ物色していたら、 年代物の数冊の古い日記帳のようなノートが出てきた。 私のではないし、誰のかなと思ってめくってみると、 なんと母親の筆跡。 どうやら15年前から10年前辺りの日記のようで、 数ページパラパラとめくってみると、 日々の出来事を箇条書きで書き込んでいる。 そして時折「今日はヒマだった。」とか 「今日は本当にヒマだった。」とか書いてある。 「〇〇さんが来れなくなった。」ともあった。 母が日記を書く習慣があったとは知らなかっ

          母の日記

          突然のお試し

          先日、「欲がなくなった」なんて書いていたら! ちょっとした出来事があった。 先日、いつものように眼科で 検査がてらコンタクトを処方してもらった。 3か月に一度、もう30年以上の馴染みのルーティンだ。 しかし、この日はちょっと違った。 いつもの検査がなんだかちょっと長めだなと思っていたら、 「念のため、写真を撮りましょう。」と先生が言う。 それで、初めて見る機械で2台。 それぞれ数枚写真を撮り、再度診察を受けた。 先生は、 「ほら!やっぱり~! 視神経低形成ですね。 これね

          突然のお試し

          掬われたもの

          先日、13年前に別れた元夫に、誕生日のお祝いメッセージを送った。 知り合ってから30年近く経つけれど、 お互いの誕生日に言葉を交わす習慣だけはずっと続いていて、 今に至っている。 その間には、娘のことや元夫の可愛がっていた愛犬のことなどで連絡を取り合うこともあったけれど、 娘は大人になり、愛犬は虹の橋を渡っていき、 今は、誕生日を祝い合う習慣だけが残っている。 彼とは知り合って約30年。バラエティに富んだ体験を沢山共有した。 楽しいことはもちろん、ままならないことも沢山。

          掬われたもの

          最近めっきり欲が無くなってしまった。 「どうしたい?」という起点は生きる上でとても大事と聞くけれど、 今の自分は、何を欲しているのかがよく分からなくなっている。 キラキラとした夢やささやかな何かはおろか、 とりわけ印象的なことは、長年の供?であった 「悩みたい」「苦しみたい」まで無くなってしまったことだ。 もちろん渦中は、悩みたいとも苦しみたいとも微塵も思っていないが、 今思うと、その時々の私は、それによって色濃く生かされていたことが分かる。 「~(し)たい」という欲求を生

          花との対話

          これから何かが書かれていく、まっさらな画面を前にすると 何を…と、一瞬の間が起こる。 そして、おそらくこの間が大事で、 そこに何かが降りてくるんだろうなとふと思った。 今朝、自宅の外回りを掃除していた。 この時期は、落葉も少なく、草ぬきや虫対策にも追われず、 ゆるゆるとした春の空気に触れながら 次々と咲いてくる花に癒されるとき。 今は、つわぶきの艶やかな緑の葉の間から これまた鮮やかな黄色い花がしゅんしゅんと咲いてきて、 目を楽しませてくれている。 マゼンタ色のフクロナ

          花との対話

          はじめまして

          私は現在55才。 自分がこの年になることを想像もできなかったし、 実際今、不思議な手探り感で日々を生きている。 人生の王道のようなものがあるとしたら、そういうものからことごとく外れた人生を送っているため、なおさら不透明で掴めない。 掴むことを諦めて、漫然と過ごしているうちに、 人生はどんどんそれ自体で舵を切るように、私を運んでいる。 一体、どこに運ばれているのか。 ジェットコースターに乗っているような、息つく暇もないようなこれまでだったけれど、 最後にガツンと衝撃をくらいな

          はじめまして