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母の日記

つい最近、探し物があって倉庫の中であれこれ物色していたら、
年代物の数冊の古い日記帳のようなノートが出てきた。
私のではないし、誰のかなと思ってめくってみると、
なんと母親の筆跡。
どうやら15年前から10年前辺りの日記のようで、
数ページパラパラとめくってみると、
日々の出来事を箇条書きで書き込んでいる。
そして時折「今日はヒマだった。」とか
「今日は本当にヒマだった。」とか書いてある。
「〇〇さんが来れなくなった。」ともあった。

母が日記を書く習慣があったとは知らなかったし、
なんだかとても意外だった。
一見、外交的で勝気な母の奥にある気弱さや寂しさ…。
どこか知らない母が出てきそうで、そっと元に戻した。

現在御年83の母だけれど、
その当時、母はまだ飲食店を経営していた。
おそらく日記は、業務日誌のようなものらしかった。
7年前に転倒し、右手を複雑骨折するまで39年間、店に立ち続けた母だったけれど、
思い返せば、その当時母はやめどきを模索していたように思う。
7年前といえば、母はそのときすでに76才なので、
今思っても、もう十分じゃないかと思うけれど、
毎日継続してきたものをどのタイミングでおしまいにしていくかを決めるのは、実際のところ、とても難しいことだろうと思う。

ある日突然その日はやって来て、店はクロージング。
母自身、感傷に浸る余裕もなく、痛みに耐え、リハビリをし、
なんとか完治するころには、一年近く月日が経っていた。
母が言うには、これでよかったと安堵したということ。
自分では到底決められなかったからと。
その後の母はというと、時間に追われずゆっくりと、
趣味のプール通いに励んだり、絵葉書を描いたり、
時にはプール仲間とおしゃべりに興じながら、日々楽しそうに過ごしている。

自分ではとても決められないことを、
宇宙は思いがけない方法で決めてくれる。
少々手痛い形でやってくることもあるけれど、
振り返ると、それが流れの中にしっくりとおさまる何よりの形だったりする。

私自身もそう。
最近は、自分の感覚では?となることも
目の前に起こってくることや差し出されてくるものには、Yesで応えるようなった。(ようやく^^;)

自分の思考や感情は過去の産物。

未来から与えられようとしている一見未知数の何かを
過去のものさしで判断し、抵抗して捻じ曲げたり、葬ってしまうのはもったいない。(←いっぱいやってきた…)

一度は手に取り、体験し、味わい、そこから繋がっていくもの、
或いは繋がらないもの、だけれどパズルのピースのように時間差ではまっていくもの、そんな矛盾に満ちた様々を楽しみたい。

今は、そんな気分で人生を過ごしている。




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