選ばれなかった者たち

  あらすじ

   母の、「あなたが笑っていてくれればそれだけでいい」という口癖を嫌う少女、この物語の一人目の主人公・山本は、幾度となく祖父に殺される夢をみた。人並みの愛を受けて育った彼女は、なぜか時々、母親のことを非常に疎ましく思ってしまう。
    二人目の主人公・チサトには妙な記憶があった。それは夢なのか現実のことなのか彼女自身にもわからないものだった。彼女は両親のもとに生まれる資格を問われる、それに懸命に答える。その記憶から抜けたチサトは、不登校気味で反抗期の中にいる、よくいるただの女の子だった。
 次の主人公、塚本はただの普通の男の子。小学校三年生の時に彼の兄が連続殺人犯になる前から、そうなってしまってからもずっと、彼自身はただ普通の少年だった。
 次に登場する演歌歌手の男、清野正彦は、或いはこの物語の主人公ではないのかもしれない。彼が番組の撮影中に急に話し始める切ない初恋の話、それは今の時代でもなお全世界で往々に否定されている、唯一と言えるまでに尊大な禁忌であった。
 この物語の最後の主人公、彼は自分の名前にコンプレックスを抱く、どこか純粋なただの青年だ。彼が自分の名前を嫌っていたのには、なんとなく大袈裟な響きだったことのほかにもう一つのくだらない理由があった。そしてそのくだらないことこそが、子どもたちにとってはとても大切だったり、大きなものだったりするらしかった。
 彼らにはどこか曖昧な共通点があった。それがある日、明確になる。その時彼ら、彼女たちは、一体何を望むのだろうか。


   #1

    私、山本久化は、いつも母の口癖に苦しんできた。母はよく私に、「あなたが笑っていてくれればそれだけでいい」と言った。それが辛かった。なぜなら私は自分の笑った顔がそれほど好きではなかったし、何より、笑っているだけでいいという言葉は、数多の努力を無意味だと、否定しているように聞こえた。母が純粋にその言葉をくれていて、私を存分に愛してくれていることも頭では分かっていた。私が悲観的になることこそ無意味で、憐れなことだということも、よく分かっていた。母のことは尊敬していたし、感謝もしていた。それでも、それなのに時々、いなくなればいいのにと思った。もっと正確な言葉を使うと、死んでくれたらいいのになと思った。両親は私の幼い頃に離婚したから、私は母とその親戚にしか会ったことがない。母の親戚は、とても私によくしてくれた。祖父母にとっては初孫だったこともあり、充分に可愛がってくれた。それなのに私は、彼らと会った日の夜はいつも、そのうちの誰かに殺される夢をみるのだった。
 愛の裏返しは愛だ。自死や殺人の理由に、執拗な愛という動機を聞くことがある。だから私はおじいちゃんに殺された。何度も夢のなかで殺された。彼は私の首を絞めて笑ったり、毒を盛って泣いたりした。そのとき、いつもおばあちゃんは台所で懸命に野菜を刻んでいた。その野菜は、彼女に踏み台にされたかつての旧友だったのかもしれないし、病気で命を落とした彼女の先祖たちなのかもしれなかった。
 私はおばあちゃんもおじいちゃんも同じくらいに少しだけ愛していて、母のことも人並みには愛していた。素朴な愛は、裏返ってもただの矮小な愛だった。私はきっと母のことも、祖父母のことも、この先殺めることはない。それどころか誰のことも刺し殺したりなどしないだろう。もしかしたら私は自分で選んだ誰かを心から愛することなく死んでいくのかもしれない。それでもいいと今は思う。私はどうせ足掻いてももがいても、憎んでも恋しく思っても、ただ人生を生きるだけ、きっと何者にもなれない。

   #2

    厳正なる抽選の結果、あなたは万和家の一員となることが決まりました。おめでとうございます。尚、この権利を他者に譲ることは固く禁じられております。見つけ次第退場など然るべき措置を取らせていただきますのでご了承ください。しかしながらまだあなた以外に候補者がいるため、ここで最終試験を行います。あなたの自己PR、これからの人生でやりたいことをお聞かせ願えますか。
「はい。私が万和家の一員になれた暁には、勉学・家事に励み一人前に成長して、将来、親孝行することを約束します。初任給では両親にプレゼントを贈り、両親の還暦の祝いには家族旅行を提案します。私が人生に望むことは、平穏な暮らしと、円満な家庭の構築です。そのために学生時代は道を踏み外すことなく文武両道に勤しみ、社会人になれば仕事と家庭との両立を図ることを誓います。万和の名を穢すようなことは決していたしませんので、是非、私を採用していただきたく存じます。」
 「ちさとちゃん!おかあさんだよ。ちさとちゃん」
そう呼びかける母、千恵子は泣きながら笑っていた。父の令明は千恵子を讃えていた。
 あれから十四年が経った。なんとなくで不登校気味になった私は、窓を開けて先輩の誰かに貰った嫌いな匂いのする煙草に火をつける。リビングのある一階からは母のすすり泣く声と父のか細い慰めが聞こえてきた。私は何のために生きているのだろう。死んだら誰かを悲しませることになるから、だから生きているのだろうか。これから何十年、生きていることで何か得るものはあるのだろうか。誰かに慕われたり、他人に幸せを齎したりすることが一度でも訪れるのだろうか。そんなものは、努めて邁進している者の特権に過ぎないのだろう。いい学校に行って、いい会社に就職して、幸せな家庭を築く。それが幸せだと母は言っていたが、今は色々な幸せのカタチがある時代だと、箱の中の大人は言う。大人は嘘つきなのに不器用だ。子どもにもバレる嘘を平気でつくのは、自分が子どもだった時に裏切られたことを忘れたからなのか、ちゃんと騙されるいい子だったからなのか。そんなことはどうでもいい。この窓から飛び降りたとしても、多分骨が折れるくらいのものだろう。頭から飛び降りようと試みても、結局本能的に守ってしまって終わりだろう。今までに学校で教わったことで九九以上に役に立つことなんて片手で数えるほどしかなく、そのうちの一つが、「首を吊って死ぬのは非常に汚い」ということだった。その社会科教師は普段は愛想がよかった。なんであんな話になったのか、今では思い出せないけれど。「首を吊って死ぬとね、体中の液体が体外へ出て飛び散って、床や壁に染みついて、もうその家には誰も住めなくなるのよ。」そういってあの人は、笑っていただろうか、憂いでいただろうか。いずれにせよその時私は、その教師の首もとを見て美しいと思ったのだった。
 学校に行っても、塾に行っても、このまま部屋に引き籠もっていても、私から数親等以上離れた人には何の関係もない。なくても困らないものの八割はあると誰かが喜ぶし、少しだけ人を笑顔にする。長い春休みはもう少し続く。

   #3

   僕、塚本広至はいつも光りを避けて生きてきた。僕は人並みの容姿、成績で誰かに妬まれたり羨まれたりする対象ではない。一見するとそうだったし、確かに物心ついたころの僕はそうだった。僕が明らかなる欠陥を抱えることになったのは小学校三年生の時、九月のとある日だった。その前日に、学校では全校集会があって、近所で何度もパトカーを見た。でもそのときはまだ、それを他人事だと思っていた。その日僕の家に警察が来たのは、ちょうど二十一時台のドラマが始まろうとしていた時だった。僕とお兄ちゃん、そして両親はやっと夕食を終えて居間で団欒として寛いでいた。その時、玄関のチャイムが鳴った。
「こんな時間に誰だろうね?」
僕は呑気にそう言ったのだったろうか。イレギュラーな来訪者に応じたのは父の彰だった。
「飯沼警察署のものですが」
そう聞こえた。
「ご苦労様です。あの事件の件ですか。」
父と刑事を名乗る二人組との会話を聞いて、数日前に市内で起きた殺人事件について昨日教頭が懸命に話していたことを思い出した。だが、その会話の流れは僕の予想に反する方向へ転換する。
「ええ。例の連続殺人の件で、塚本広平さんにお話を伺いたいのですが…。」
刑事が呼んだのは、両親の口から聞き慣れた僕ではない名前、お兄ちゃんの名前だった。そして僕を動揺させたもう一つのことは、“連続殺人”と刑事が言ったことだった。奥で聞いていたらしいお兄ちゃんはゆっくりと立ち上がって、刑事に会釈をした。
「僕がやりました。」
お兄ちゃんは、普段よりも流暢な口調でそう言った。彼は刑事に連れられて行く最中、ゆっくりと振り返った。
「いってきます。」
と僕たち家族に言った。いつもよりずっと丁寧な口ぶりで。
その日は彼の十三歳の誕生日の前日だった。両親はただ唖然としていた。毎日のように泣いて心をなくしたような表情で僕に慰めの言葉をかけるようになったのは、その日から五日以上経ってからだった。
 僕は次の日から一躍有名人となった。勿論、「連続殺人犯の弟」として。マスコミには家を見張られていたし、学校では毎日嫌がらせに遭ったが、僕にとって最も面倒だったのは、憐みの言葉の数々だった。両親、特に母からのありがたい慰めも、そのうちの一環だった。僕を平等に扱っている風の担任教諭の授業をBGMにいつも考えていたのは、どうしてこうなったかではなく、彼、お兄ちゃんの見ていた世界のことだった。彼がいつまた普通の生活を送るようになるのか、そのそう遠くない未来に彼がどんな名を名乗るのか。そんなことを考える日も偶にあった。彼が何の恨みもない他人を殺した時、彼は、光と闇のどちらに包まれていたのだろうか。それともそこには空しかなく、無の境地だったのだろうか。それは仮に僕が誰かを殺めたとしても知り得ない深淵なのだろう。彼は二人目を殺すとき、泣いていたのだろう。なんとなくだけど、そう思った。自分も死んでしまえばラクになるのに。そう思って泣いていたのだろう。でも僕には、どうしてもわからない。自分を犠牲にしてまで他人を殺めることの必然性や快楽が、どうしてもわからない。僕は多分これからも普通の人間だから。表面上では異常で、肩書きは「殺人犯の弟」だけど、僕はただ正常なだけで異常にはなれない。社会の汚点の末端にいる、人というゴミのなかの一部でしかない。僕には連続殺人犯と同じ血が流れているんだ。その事実だけが僕を特別にしてくれる。両親が心を病んでしまった可哀想な少年。探せばいる不幸な子どものうちのひとり。ただそれだけ、その他の何者でもない。僕はこれからもただの僕である。

   #4

    その日万保駅には今までにないくらいの人だかりができていた。それは、地方番組のロケに大物演歌歌手が参加していたからだった。普段は流行りの曲を聴いて、「演歌なんか」と馬鹿にしていた筈の若者も、退屈に勝てず皆一様に万保駅前に集合していた。まるで誰かが号令をかけて意図的に集めたみたいに。大した刺激もなく過ごしている田舎町の夕刻、それは仕方のないことだった。ただ親に連れられて渋々ついてきた子どもたちほど、清野正彦という一人の男の貫禄に驚き、圧倒されているようであった。清野は黒い噂も絶えない芸能界のドンで、こんな割に合わない仕事を受けたのもただの暇潰しなのだろう。そう思っていた多くの人々の期待を裏切ったのは、彼の小さな告白だった。
「実は僕はこの町で生まれ育ったんだ。」
と彼は涼しげに言った。調べてみると、彼はこれまで特に出身地を公言していないようだった。観衆は俄かにざわついた。それも仕方がない。「もしそれが事実であるならどうしてもっと早く…」と、役所の人間は呆れながらに歓喜していた。「清野正彦ミュージアムを作ろう!」とでも、彼らは本気で思ったのかもしれなかった。
「初恋もこの町だった。」
そう言って彼が話し始めたのは、あまりにもヘヴィーで、そこに居た誰もに処理しきれない、或いはよくある子どもの戯言とあしらいたくなるような、そんな切実な恋物語だった。
 彼が語ったのは、実の姉に対する恋心だった。それは子どもが幼さ故に父や母と結婚の約束をすることや、思春期に起因する性への執着のせいとは言い難いほどに、ちゃんとした初恋のようだった。彼はある時期から、今は亡き姉の優子に恋心を抱くようになった。それは中学校三年生の夏休みだった。優子がクラスメイトの男子と親しげに話しているのを見て妬ましく思った。でも彼はそれに興奮もしていたらしかった。彼の恋心がもっと過ちめいた一時的な感情なら、そこで優子を咎めたり、あるいは乱暴したりしたのかもしれなかった。しかし幸か不幸かそうではなく、彼は優子を恋しく思っていたし、愛おしく思っていた。だから夏休みのある日の夜、彼は優子のクラスメイト、鈴木高史の家で彼女の初体験を蚊に刺されながら見守り、同じように果てたのだった。無論、嫉妬に狂いながら。そうして優子への思いを増大させていった彼だったが、彼は優子を愛していたからこそ、彼女や両親を困惑させることも傷つけることも絶対にあってはならなかった。だから自ら男子校の寮への左遷を申し出た。両親を懸命に説得して頼み込んで、勉学に励んだ。姉の住んでいる部屋の隣で。思春期真っ只中だった彼にとって、その状況はただ酷なだけではなく、実は結構楽しいものであった。とそこまで込み入った話をしたのは彼がその後に出した本の内容だっただろうか。とにかく、彼には同性愛者や無性愛者、それとも昔の女に大事なところを切られたなど様々な噂があったが、風俗以外の女に一度も手を染めなかったのは、優子のことをその死まで、いや、今日まで愛し続けていたからだった。
 この話を聞いても、本当に誰かを愛したことのない自分のような人間にとっては非現実的な悲劇のヒーローだなとしか思えない。そう言うとこれからだよと茶化されるのが落ちかもしれない。この彼の終わらない初恋をまやかしだといって目を背ける人も、禁忌だと声高に騒ぎ立てる人も、人知れず共感している人も、自分の方がマシかもしれないと感じる勘当された両性愛者も、実に人間らしくて羨ましい限りだ。恋が何かも知らない存在の自分にとっては、彼らの一喜一憂こそが青くくっきりと意味そのものであるかのように光る。そういえば妹はよく父に、「大きくなったらおとぉのお嫁さんになるね!」と声を弾ませていた。彼女は、高校時代に二回、馬の骨の子を身籠って二回中絶をした。それから毎晩泣くようになった。そのお腹に少しだけ生きた姪もしくは甥の、父親はどんな顔をしていたのだろう。まぁそんなことは自分には、到底係わりのないことである。

   #5

    「満平英弘」僕はこの大層な名前が、物心のついたときから嫌いだった。教師には約半分の確率で名前の読みを確認された。それも可能性を踏まえた念のためという風に、どこか気怠そうに。同級生に幾人もいた、ユウヤという名前には一時期強く憧れたものだ。
少年時代、僕がこの名前を好きになれなかったのにはもう一つ理由があった。それは一時期ブレイクしていたお笑い芸人の名前に僕の名前が酷似していたことだった。「三岸栄光」という彼の姓名と僕の姓名の漢字は一字として一致していなかった。だが、「ミツヒラエイコウ」と、「ミツキシエイコウ」という名前は言い並べるとそっくりだった。彼本人でさえ使いこなせないギャグを僕は授業中に振られ、時に教師にさえ弄られたのだった。彼の人気も薄れて僕が普通の名前に戻ろうとした時にその邪魔をしたのも彼だった。彼は某週末出版系週刊誌だか、春の文的週刊誌だかにスクープされて袋叩きにされた。言うまでもないだろう、かくして僕は、招かざる再ブレイクを果たしたのだった。
 その後もなんとなくで自分を嫌い続けていた。どこかでそれに慣れてその生き方に心地よさを感じていたある寒い春の日、僕は自分に少しだけ誇りをもつことになる。

「新元号の最終候補五つが明らかになりました。最終候補に残っていたのは、久化、万和、広至、万保、英弘の五つです。」

 僕たちは声を揃えて、アスファルトに向かって呟いた。
「また、選ばれなかったなぁ。」
その言葉に照り返される前に僕たちは、或いは彼らは、玄関の靴を綺麗に揃えて、また部屋の布団に舞い戻って眠った。
 僕たちは意識的に夢をみた。その夢のなかの僕らには、生きているだけで価値があった。税金・年金・保険料という言葉の前に、生の価値があった。それはまるで、泣き声をあげて産まれたばかりの赤ん坊のように。そしてこれからの時代が、何もない僕たちの存在に価値を見出すものであれと強く願った。
「僕たちの時代の始まりだ」
そう言って彼らは目を開けて、天井を強く見つめた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?