ソーダ

 個人主義を建前に生きているのに、時々誰かの悲しみを妙に親密に感じる。温度をもって、まるで私が産み出したかのように痛む。私にはその誰かの心情なんてわかりっこないのに。
クリームソーダの、ちょうどクリームでもソーダでもないところ。クリームとソーダの合流地点で息をしている。きれいできたなくてよくわからないところで、いきている。透き通って見える他人の体。ずっとただ真実味を帯びている私の体。他人から見たら嘘なのかもしれない、私の本当。

 旧暦と新暦の齟齬を埋めたがる暑い初夏に、私は名前をつけた。それは春でも夏でもない。私が今を呼ぶためだけの名前。季節にではなくて、今につけた名前。私に呼ばれるためだけに生まれてきてくれてありがとう。
誰にも届かない私の頼りない声が、いつか私には届いてくれるような、そんな感じがした。

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