見出し画像

日記 誅!多様性。

一昨日くらいに、久々にnoteで何か書こうとしたら、鬱が襲ってきて挫折した。今は立ち直ってます。ので書くよ。

今日はご飯を食べたら調子がよくなってきたので詰まってた作業を進めた。つよくなりたい。作業をある程度進めた後、ChatGPTと遊んだ。一緒に詩を考えて添削してもらったりとか、急にトンチキな質問をしたり。AIは急に話題を変えても怒ったり無理矢理前の言葉と文脈を繋げたりしないので好きだ。

スプーンによる襲撃や恐怖が、被害者の心臓に過剰なストレスをかけ、心臓発作を引き起こす可能性があります。

Kindle Unlimitedに加入しました。2か月99円のやつ。おかげでデジタル積読が溜まっていく……うれしい悲鳴ですね。Kindleはスマホアプリで文字の大きさや色味を調整できるので、おでかけ先で何か文字を読んで暇つぶしをしたくなった時や紙だと読み進められていない本を読みたい時に便利だ。

私の本棚はだいたいこんな感じ。ちなみにここに載ってるのは全部自分で金払って購入したやつなのでひとりでに消えたりしません。

それはそれとして紙の本も買う。文庫版「ネコソギラジカル」を全て揃えて、きくおさんの曲が原曲となっている小説「愛して愛して愛して」も買った。

「愛して愛して愛して」は文体が思ったより読みやすく、1日で読了した。内容は……正直に言うと毒親とか虐待とかいじめとか殺人とか、そういうセンシティブなテーマがフレーバーとして出てくるのはいいんですが……なんかそのセンシティブさに飲み込まれて肝心のストーリーや物語自体はかなり薄味だなあと思ってしまった。でもこれは精神を病んで、猟奇とゴアを求めて生きてきた結果闇の創作に対して舌が肥えてしまったダメ人間の感想なのであんまり気にしないでね。君たちはどう読むか(チープなパロディ)。

それはそれとして「君たちはどう生きるか」も劇場で観てきましたよ。内容はそれぞれ自分で確認してください。スタジオジブリの、宮崎駿の作品を映画館で観るという体験は今となってはもはや貴重ですからね。それは体験できてよかった。どうでもいいけど私が他に劇場で観た宮崎駿の作品って「カリオストロの城」と「崖の上のポニョ」しかなかったりする。

話が変わります。
私は19歳だが、早生まれなので今20歳か21歳として生活している世代に含まれる。つまりZ世代でもゆとり世代でもないちょうど狭間にいる。のでよくZがどうとか若者の流行りはどうこう言われてもさっぱりわからない。高校でも、正直年下でありながら同学年の生徒より部活の顧問の先生と話(20年くらい前の漫画とかアニメとかの)をする方が盛り上がったりする。この微妙な気持ちがストレスとして常に頭の隅っこに存在している。19歳。成人しているが酒もタバコも摂取できない微妙な時期。早く20歳になって、大人になったという実感がほしい。いや、酒は睡眠導入剤を服用してるから飲めないしタバコも喘息持ちだから無理なんですけどね?ギャンブルも予想とかできないし。なんかこう、ふわふわして気分が悪いんです。

他にも色々語りたいことはあるけどなんか長くなったからこの辺で消えるぜ。ばいばい。

↓おまけ 書いてる途中で鬱になって挫折した文章
自分の「性」についてたまに考えることがある。
生物学上はホモサピエンスのメスで、下着や月経のことで悩まされたりするがそれを手術で無くしたいとは思わない(銭湯に入れなくなるとか手術費を稼ぐのがめんどいから)。人間関係において発生する「手続き」として「理解ある人間くん」になってもらっている人は男性だが、別に相手と子供が欲しくはないし、私は彼のセクシーさに惹かれたというわけでもない。今の自分が独り身の人間で、たまたま自分に寄り添ってくれて一緒にいて苦ではないなら相手が女性でもなんでもいいと思っている。セクシーだなあと思うものは……えっと……二次元の女の子とか……うん……とりあえずセクシー路線で見てることが多いのはほぼ女性です。でも、リアルな女性と親交を深めたいと思ったことはあまりない。これは性的指向云々は関係なく、私自身の嫌〜な過去が関係しているからだ。というわけで自分語りをします。私は背が低い。今は19歳だが、それなのにだいたい149cmから151cmの間くらいだ。子供の時から周りの同年代に比べて一番背が低かった。過去の自分と比べて劇的に伸びることはあっても、周囲の人と比べてはずっと低いままだった。そのせいか、小学生の頃はよく高学年の人たちに「かわい〜」と言われながら声掛けも何もしないでいきなり抱きついてきたり、抱えて持ち上げられたりおんぶされたりした。母親からのスキンシップもそんな感じだった。自分で自分の気持ちに気づくことは17歳になるまでできなかったが、多分当時から自分はいきなり他人に体を触られたり、驚かされてその反応をからかわれるのは嫌だったんだと思う。そのストレスが積み重なったり、あとは学校で教室内の人全員からいじめられた時も悪質で執拗に人格攻撃を仕掛けてきたのが女子のグループだったこともあった。その影響で、女性と話をしたり親しい関係になるのを恐れているきらいがあるのだろう。かといって今、学校で男子生徒に声をかけようと思っても向こうが「私は女性である」という理由だけで逃げていくので会話のきっかけが掴めない。故に、女性の方が苦手で女性を恐れているのに女性しか近寄ってこない。そしてその女性も私に「かわい〜」とか「何あの人〜?」と興味本位で近寄ってきては変人さにビビってなんとなく距離を取り始める。……うん、やっぱり私に友達ができないのは私自身に問題があるのだろうか。わからない。子供の頃から今になってもずっとわからない。わからなすぎて、自分は半透明人間で本来なら存在しない方が周囲の人たちの世界にとっていいキモいヤツなのだと思って死にそうになった時期もあった。ていうか、今も自分と他人の間には大きな溝や裂け目というか、乖離している部分があって、そのせいで他人と気持ちを分かりあうこと、繋がることはできないと少し思っている節はある。

気に入ったら、投げ銭してもらえるとうれしいです。