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日記 阿良々木さん、ご結婚おめでとうございます(コナン映画見たとか戦物語読んだとかの話)

澄み渡る青空を見ながら、脳内でその景色にゼットンとかゾーフィが浮かんでいる様子を合成する。青空に浮かぶ、使徒を倒した後の十字の光を空想する。車で遠くからエヴァ初号機がついてきて、その衝撃で乗っている車体が揺れる様子を妄想する。楽しい。

今更ながら、コナン映画「緋色の弾丸」を観た。普段コナンは全然知らないけど面白かった。狙撃……ヘリウムガス爆発……無駄に壮大でメチャクチャなトリックをされたりいきなり変な小道具が出てきても「まあコナンくんだし」で済むの流石だなって思う。コナンくんはスマホ2台持ちらしいが、誰がSIMの契約をしているんだろうか。阿笠博士かな。リケジョ哀ちゃんのせいで博士の居場所がどんどん消えていくし、そもそも阿笠博士は博士なのに普段どんな研究や仕事をしているのか全然わからなすぎて面白い。阿笠博士が書いた論文って面白そう。

緋色の弾丸でも狙撃というネタが出てきたが、小説を書いていたり、絵に描くキャラクターのデザインを考えている時に銃の仕組みを調べることは多い。が、調べれば調べるほど深い澱んだ沼に落ちていく感覚がある。今の私の貧弱な体躯と筋力ではおそらく一生自分で撃つ側になることはないだろうが、それはそれとして平和な世界を目指して人々が活動することを訴えられている世の中でありながら「生き物を殺す、無力化する効率的な方法」として研ぎ澄まされている武器が平然と日常に混じっている矛盾が怖い。日本に住んでいても知識をつけるだけで恐怖感が全然違うのに、アメリカとか本当にヤバいんだろうな。些細なきっかけでもいつ隣人に撃たれるかわからない恐怖。きっと、サイコスリラーとか洒落にならないんだな。

久々に新しい西尾維新を摂取した。戦物語である。物語シリーズは業物語で止まっていて、死物語もその前の大学生編も全然読んでいないが「ひたぎハネムーン」というタイトルだけで惹かれてしまった。偶然、この戦物語では最後の方に「証人保護プログラム」という話題が出てきていて、緋色の弾丸を観た時もそのネタが中心になっていた。この戦物語では今まで阿良々木暦という男が積み上げてきた「物語」の時系列やキャラクター同士の関係を整理して、過去の回想に耽るシーンが多い。大学生編(モンスターシーズン)を全部追えていなかったとしても、続・終物語までとりあえず読めていたらなんとなくその先の「あの人は今!?」を大体掴めるというわけだ。阿良々木さん、ご結婚おめでとうございます。これからも一家と阿良々木ハーレムの皆様が健やかに暮らしていけますよう、心より応援しています。

いかん、このままだとライトなオタクくんの日記で終わりそうだ。なんだろう。なんか話すことあるかな。わっかんねーや。

昨日の記事では「お祭り騒ぎの雰囲気に酔える幼さを失っている」という話をしたが、そのことを知り合いに相談したら「その落ち着きが瑞野くんのいいところなんじゃないか?」と言われてしまって、それがちょっと沁みている。

しかしながら「昔はそういうお祭り事に参加する子供だったの?」聞かれた時はなんて答えればいいかわからなくて詰まってしまった。なんとなく図星っぽい反応をしてしまったが、そうではない。子供の頃の私はそういう何か、催し物に参加したいと思っても周りの人間から拒絶されたり人格攻撃を受けまくっていたので、そういうネガティブな周りの顔色や言葉を感じ取るのが嫌になって消極的な態度を取るようになったのだ。いや、私は過去の傷を憎んでもいるが、これだけ傷ついているので性格が歪んでいても多少は許してくださいと依存しているようにも思える。本当は、こういう歪んだ部分をなくして、ありきたりでも自分が楽しそうだと思った催し物を全力で楽しめる人間になりたいんです。自家中毒起こして死ぬタイプの天邪鬼。躁鬱もついてくる。

なんか釣り合い取ろうと病んだ話をしたら嫌な気分になってきた。やっぱりライトなオタクの日記にしておけばよかった。

さようなら。

気に入ったら、投げ銭してもらえるとうれしいです。