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日記 あなたさみしいひとね(写真と創作の話、それと日記)

写真の話
写真を撮影する、という行為は自分の目で見た景色を心から切り離すものだと思っている。

その瞬間に感じた自分の感情が、写真というフィルターを通して感情が記憶に置き換わり、記憶が写真を見た感想に置き換わっていくのだ。写真を撮る、という選択肢があると、良いものを見るだけでは満足することができず、写真を撮って記録するという行為を挟まなければ納得できなくなるし、写真を撮っている瞬間は「写真の中の景色をよく見せよう」と自分の心から理性だけが切り離されていく。

写真を撮る時。人は沈黙を貫き、真顔になる。

創作の話
私の中の「創作」はいつから高尚な趣味になってしまったのだろう。もっとこう、くだらない笑い話を友人と共有して楽しむためのツールであり、シンプルな魂(厨二病とも呼ばれる力)の殴り合いであったはずだ。

それが、どうしたらクリエイターとしての名が売れるかとか、skebのリクエストがどうとか、どれだけの金を払えば素晴らしい作品を享受できるか、とか。絵上手いですね、とか下手ですね、とかそういうのは、本質としてはどうでもよかった。

好きなキャラクターの絵を描いて、キャラクターが生きている世界の妄想をして、またその妄想を絵に昇華する。そのサイクルが楽しかったはずだ。それがいつの間にか売れるため、バズるため、認められるため、技術を磨き続けなければ生きている価値がないと自分に言い聞かせるようになってしまった。そうやって本音を見失ったまま創作活動を続けた結果、作品という想いの屍だけが積み重なり、本当に求めていた一緒に絵を描いて笑い合える友人というものは片手で数えられるほどに減ってしまった。

ひとりはさみしい。きっと、創作活動に執着することをやめたら友達は作れる。SNSに執着することをやめたら承認欲求の行き場も無くなって霧散する。そうして私の内面は本当のがらんどうになり、抜け殻だけが残った。いや、最初から何もなかったのを無理矢理脳が騙して虚飾を積み上げていたんだろう。単純に、絵を描くことが楽しくなりたい。今は他人の絵を見るだけで自分の技量と比較して、頭がおかしくなりそうだから。しにて〜。

ただの日記
FGOをずっと遊んでいる。シナリオが主体のゲームシステムなだけあって、難しいことを考えずにポチポチボタンを押してるだけでキャラクターを強化したりシナリオを読むことができるのが良い。でもちょっと頭を捻るとクエストを周回する効率が良くなるけど、その為にはガチャで強いキャラを引かねばならないのが問題だ。そして強いキャラに限って引ける確率の低いキャラだったりする。あくどい商売やで。

今日はゴッホちゃん(FGOのゴッホと史実のゴッホは別人である)が登場するイベントのシナリオを全て読み終えた。良かったので日記のヘッダーもゴッホにした。

なんか前回の近況報告は汚い話が多かった気がする。しかし、元を辿ればあらゆる気持ちを清濁併せて垂れ流す為にnoteを始めたので原点回帰とは言えるだろう。

ダ・ヴィンチ・恐山さんが日記で地元のことを書いてくれていて嬉しかった。好きな有名人が自分が知っている場所の話をしていると、世界の狭さを感じる。自分が一方的に知ってるだけの好きな人って全部幽霊だと思ってるので。なんなら自分自身も、誰とも接続せず宙を漂っている幽霊だ。

終わらせるか。この世全てとこの日記を。

読んでくれてありがとう。さようなら。

気に入ったら、投げ銭してもらえるとうれしいです。