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西の都へ

 
 就活中の身にも関わらず、京都へ行った。
 
 実質的な逃避行である。勉強も、説明会も、インターンも、すべてを放り投げて「現実」という名の恐怖から身を遠ざけていった。物理的な距離もさることながら、心理的な距離も遠のいていくような。僕の心象は変に浮足立ってはいたが、足は地面から離れさせてくれなかった。たぶん、後ろめたさがピッタリと背中にくっついていたのだろう。俗世から身を隠しますと宣言するのは、まだ時間がかかりそうだ。吉田兼好への道はまだ遠い。

 

鴨川デルタから見た加茂大橋


 元来の目的は、森見登美彦作品の聖地巡礼である。

 昨年の夏頃、いろいろな事情からすべてが嫌になってもうヤケクソになって「ええい、京都行ったるわ!」とホテルやら深夜バスやらを調べていたのだが、冷静貫徹で臆病な僕がニョキッと顔を出し、僕の活気ある行動力をしゅるしゅると吸収していった。あれはいったいなんだったんだろう、と自分でも思う。状況も環境も、すべてが整っていたので、あとはもう自らの勇気ある一歩を踏み出すだけだったのに、尻込みしてしまったのだ。ヤケクソななかでも危険意識がちゃんと働くのは、いいことなのか悪いことなのか、よく分からない。

 そして年も変わり、僕は東海道新幹線の新大阪行きへと足を踏み入れていた。新幹線で揺られること二時間、辿り着いた夢の街・京都。これまでの逡巡はいったいなんだったんだというぐらいにあっさりと着いてしまった。

 そう、森見登美彦である。

 『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』『太陽の塔』—―。京都を舞台に、愛すべきダメ大学生が自らを自己顕示するべく暴れまわるお話をたくさん描く。アニメ化もされた。高校生の頃に観た僕は衝撃を受けた。「芸術的だ」と言葉でいえば陳腐だが、これまでのアニメーションにはない独特の感性、アートワーク、ストーリー展開。すべてが真新しく映り、こんな作品を、こんなアニメをつくる人たちがいるんだと思った。監督を務めた湯浅政明氏、原作イラストの中村佑介氏はまた別個で追っているが、なんといっても原作・小説家の森見登美彦は自分の小説人生に幅を広げてくれた。

 ストーリーのテーマは普遍的ではあるが、それを感じさせない設定の奇抜さと独特な文章は、森見先生の才覚だ。語彙力もさることながら、読者をちょうどよく突き放させないラインをギリギリで保ったまま、魅惑の世界へと誘う文章力には脱帽としかいいようがない。
 たとえば、森見先生の作品に幾度となく現れる固有名詞は、僕などが書いたら「分かりにくい」「読者に読ませようとしていない」と一蹴されてしまう。京都に住み着いていない者ならばチンプンカンプンな固有名詞も多かろう。それでも、読者をギリギリ引き離さず、ちょうどよい塩梅で世界を提示する森見先生の作品づくりは、真似しようとしても真似できない。発想力・文章力ともに随一の才をお持ちである。

 さて、そんな森見登美彦大先生のお話を生で聞きたいと幾度となく思っていたのだが、

 

後半からご登壇した宮島未奈先生の『成瀬は信じた道をいく』のポスターも一緒に


 会ってきました。

 こうでもしないと京都へ行こうと思わなかっただろう。百キロ超級を超す僕の腰を押し上げてくれる口実だ。森見登美彦のトークショーの宣伝を旧Twitterで見つけた瞬間、「これは……」と思いながら迷った。迷ったが、後先の計画をすべて未来の自分に委ね、購入のボタンを押したのだった。

 いくつかの書店が合同で企画・開催したイベントのようで、司会の方がふたば書房の社長さん!(関西弁でお話されていて、京都の人だ—と不思議に感動した)の和やかな雰囲気からはじまった。
 とにかく、森見先生の話は面白い。謙虚でありつつ、語り口はユーモラスに溢れている。あ、人に愛される人だな、とは思った。だからこそ、自伝的な小説=作者自身をかなりトレースした小説であっても、広く受け入れられたのだろう。永遠に聞いていられる。この人とずっと話したいと思う。魅力を兼ね備えている小説家さんであることが、実際にこの目で見てたしかにそう思った。

 

住み慣れた都市を離れるということ


 出町柳の鴨川デルタが気持ちよい。
 
 冬風が伸びきった髪をなびかせてくれて、頬を撫でてくれた。立春が過ぎた。もう春なのか。春が来るのが、僕は怖い。ずっとこの寒さが続いてほしいと願っている。賀茂大橋から見る鴨川デルタと、賀茂川・高野川の水流がなんともない日常を表してくれていた。

 下鴨神社に参り、干支の御守を授かった。足を京大の方に向ける。京都大学のタテカン、吉田神社、哲学の道をたどりつつ、慈照寺に足を踏み入れた。教科書じゃない自分の目で見た銀閣の姿は、やっぱり金閣と比べて地味で落ち着いていて、そして風流であった。日本的な美を感じる。足利義政は、先代の建てた金閣と張り合いたい気持ちがあったのだろうか。それとも単なる好みだったのだろうか。

 

左が銀閣 京都の街並


 慈照寺の頂上から見た景色。

 僕は「思えば遠くへ来たもんだ」と呟いた。そして、森見先生や宮島先生の作品を思い出した。

 先生方は、京都や滋賀といったある地方の一都市の物話を書いている。土地の根ざしたリアルな日常を抽出し、物語へと昇華している。しかし、先生方は出身地というわけではない。森見先生は奈良県、宮島先生は静岡の出身である。
 でも、お二人の作品たちは、外から訪れた人間だからこそ描ける何かがあったのだろう。中にいては気づけない魅力があって、だからこそ、物語というフィクションの舞台として選びたかったのではないのかと。ほんとうの生まれ育った地では、ある意味発想が出てこないところがあるのかもしれない。

 僕は一昨年、「東京を再定義する」という意味の分からぬテーマを掲げ、東京にまつわる短編をたくさん書いていた。東京に潜む人間の恐怖、異物の存在、狂気じみたカオス。物語として見つめなおすことで「東京」を別の視点から描こうとしていた。もっぱら、村上春樹の『東京奇譚集』や東京をテーマにした音楽群に影響されて書いたものだった。果たして、テーマを達成できたのかは分からない。答えのないテーマだから、というのもあるだろうが、創作を通して東京への見つめ方が変わったとは言えないだろう。

 僕が東京を離れ、西の地に降り立ったことを意味づけするならば、「東京を再定義する」と言っていい。物理的に距離を離れ、自らの根付いた地に想いを馳せることで、何か新しい東京像に気づくことができるのではないのか。

 ……無理やりな意味づけだ、うん。意味のない意味づけである。

 


 京都は、いい街だった。
 二日だけでは足りない。一週間、いやそれ以上住み着いていたい。人との距離感がほどよく感じる。東京ほど離れておらず、かといって田舎ほど接近してないほどのちょうどよい距離感が、なんとなく心地よかった。

 僕は埼玉出身で両親も東京出身だが、家系的には西の方に血縁が繋がっている。偶然だろうが、ふと思い返せば、僕が好きな小説家は関西の人ばっかりだ。森見登美彦も、東野圭吾も、村上春樹も、重松清も、東川篤哉も、米澤穂信も、みんな関西出身の人だ(穂信先生は岐阜なのでギリ中部か)。もしかしたら、僕は西の空気が合っているのかもしれない。

 いや、でも。僕は思う。そんなこといいつつも、僕は関東人だし、埼玉県民だし、東京に愛着はある。そこはたぶん、変わっていかないんだろうなとは思う。

 東京を出て、京都に住み着いたとして、東京から出たことにがっかりする日が来るのだろうか。そんな日が、果たして来るのだろうか。

 帰りの新幹線。窓から見た東京のビル群は、壮大で、荘厳としていて、アジア随一のシティを体現していた。こりゃ、田舎から出てきた若者が「東京すげぇ」と思うのもいたしかたがない。だって、すごい。こんな都市は、世界に何個もない。

 東京駅に降りて、乗り換えで池袋駅にたどり着く。相変わらず、強者と弱者が混じりあい、永遠と夜が続いているような場所だ。

 僕は思わず、

「くせぇ街だな」

 と呟いた。

 もちろん、誉め言葉である。

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