ファッションネガティブ

アメトーークで吉住が「生きづらい芸人」をプレゼンしていた。
世は傷つけない笑いの時代の真っ只中、性格の悪い自分は人を傷つける笑いしかできない。さらに自分の言ったことに後から自分で傷ついてしまって生きづらい、と。
その生きづらい芸人の中で「あの時、道を間違っていなければ」をトークテーマとして挙げていた。吉住が語る「あの時、道を間違っていなければ」にとても共感を覚えた。以下発言引用。
「私中学ぐらいまでは結構元気でフワちゃんぐらい明るかったんですよ。なのに、高校ぐらいでアメトーークでピースの又吉さんがセンスのある一言で落としてウケてるの見て、かっこいい〜って思っちゃったんですよ。そこから暗いのかっこいいと思っちゃって、暗くなっちゃって、でも私は元々は明るい人間だから、センスのある一言は言えないんですよ。私コント以外のお笑いは得意じゃなくて、だから助けてほしいんですよ。」
これがとてつもなく刺さった。(恐縮ながら)

私も小学生まではめちゃくちゃ明るい奴だった。
クラスの中心ではしゃいでいたし、休み時間には友達を引き連れて校庭で大きく場所をとって遊んでいた。クラスで出し物をする会では漫才をしゃしゃってやったりもしていた。
なのに、中学1年生の時にテレビで見た、ブラックマヨネーズの吉田さんが偏見を語って笑いをとっている姿に強烈な憧れを抱いてしまった。
youtubeでせっせとブラックマヨネーズの『ずぼりラジオ』を聞き漁った。今考えると好きなものにハマる手段として無断アップロードというのが恥ずかしいけれども、当時はダメなことだという認識もなく、ぐんぐんハマり、吉田さんの考え方をトレースしようとしていた。
クラスの中心で陽気にはしゃいでいた私は、その頃から突然、休み時間を教室で過ごすようになり、根暗でモテなくてルサンチマンからくる偏見を語るようになった。
だけど結局、根は明るい調子乗りなので、いわばファッションネガティブでしかない。吉田さんのように面白くて独自性のある偏見は自分の中から出てくることはなく、ただただ鬱陶しい偏見を語るだけのやつになっている。現在進行形の悩みである。

私が憧れたブラマヨの吉田さんや、オードリーの若林さん、南海キャンディーズの山里さんは自分の根っこから生み出した(産み出さざるを得なかった)ネガティブや繊細なので、自然と独自性があってめちゃくちゃ面白い。
そんな憧れからファッションの如くネガティブを羽織っただけの私には独自性が生まれない。センスのある偏見は語れない。助けてほしい。

これって実は同世代の暗いやつには多くいるんじゃないだろうか。憧れからくるファッションネガティブ。

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